誰でもパレスチナには2つの海があることを知っているでしょう。

ヨルダン川周辺地図ひとつは「ガリラヤの海」(マタイ4-18、マルコ1-16、ヨハネ6-1など)と呼ばれ、ヨルダン川によって造られています。

ガリラヤ湖は地中海の水位より209メートル低く、南北に20キロメートル、東西に最大12キロメートルの幅を持ちます。表面積は144平方キロメートルで、水深は50メートル以下です。小さくて海というよりも湖ですが、深いコバルトブルーの色を持つ美しい海で全体が緑の丘に囲まれています。

ヨルダン川のもう一方の端には「アラバの海」(申命紀3-7)または「東の海」(エゼキエル47-18)とも呼ばれ、現在では2世紀のギリシャの地理学者によって名付けられた「死海」として知られる「塩の海」(創世記14-3)があります。
死海はヨルダン川と、多くは東側から流れ込む他のいくつかの小川によって造られています。死海は海抜-416.5メートルです。長さ76キロメートル、最大幅16キロメートルで表面積は約625平方キロメートルです。水は行き場がなく、激しい蒸発が起こっています。死海の塩分は海水の約10倍で、1リットルあたり350から370gです。その結果、生物はいません。

先日、マドリードの私の母校の高校からニュースレターを受け取りました。ニュースレターには哲学と宗教担当の若い司祭の教師から、今年の卒業生に向けた講話が掲載されていました。私にはとても興味深く思え、今ここにいる私たちにも有益だと思いました。

『ガリラヤの海の水は淡水で青く、魚がたくさんいます。周りには木々が生い茂って枝を伸ばし、清浄な水を求めて根を伸ばしています。子供達は海岸で遊びます。2000年前、イエスもこの辺りで遊んだに違いありません。使徒達は毎朝出かけて漁をしたことでしょう。イエスはこの海を愛し、白銀の水面を見つめながら、よくたとえ話を用いて説教をなさいました。

ヨルダン川は南に流れてもう一つの海に注ぎ込みます。このもう一つの海には、生命の兆しはなく、木々の葉も鳥のさえずりも子供達の笑い声もありません。水の上の空気は重く、人も野生動物も鳥もその水を飲むことはありません。それは「死海」と呼ばれています。

何がこの近接する2つの海の大きな相違をもたらしたのでしょうか?
ヨルダン川ではありません。川は2つの海に同じ水をもたらしています。両者を支える土台でもなく、両者を取り巻く土地でもありません。相違は次の点にあります。
即ち、ガリラヤの海は川から水を受け取りますが、それを自分のために囲んでおくことをしません。そこに来る一滴の水は他方から流れ出ます。受ける一滴一滴の水は自然に外に流れて出ているのです。受けるものが自然に与えるものになっています。
他方、もう一方の海は貪欲です。やってくるすべての水を自分のために囲い込み続けます。寛大な心がありません。やってくる一滴一滴の水はそこに留まり、腐敗し、塩になります。こうして、ガリラヤの海は与えて生き、他の海は何も与えずに死んでいます。』

castanedaこの話は私たちに何かを考えさせるのではないでしょうか。60年前に私はこの学校を卒業し、今この胸を刺すような文を読んで、私はこのような教育を受けたことに深い感謝の念を憶えました。

主任司祭 ハイメ・カスタニエダ
「ひろば」第34号より