第二の部分には、罪びとである私たちが、御子の母聖マリアに向かって、神に取り成してくださるよう、へりくだって頼みます。「今」、光か闇か、安らかか不安か、誘惑か平静かの状態にある私「たち」が、『主の祈り』を唱えるときと同じように、自分だけでなく、皆が必要としている様々な恵みを神様が下さるように求めます。
そして特に、一体いつであるか、どのようにしてやってくるのか分からない“死”に向う最後のとき、永遠の祝福が与えられますようにと願って祈りを終えます。締めくくりとして、祈ったことを皆で「アーメン」と言い、確固としたものにします。

いつから『アベマリア』は唱えられることになったのか、はっきりしていません。大英博物館にある1030年位のマリアへの祈りの写本には、第一の部分の「アベマリア」から「あなたの子も祝福されました」までが、すでに入っています。そしてパリの司教は1196年あたりに聖職者に宛てた教令で、一般信者に『信仰宣言』、『主の祈り』と『聖母のあいさつ』を教えるべきだと決めました。その後次々に他のカトリックの国々は同じように決めたのでした。ウルバノ4世教皇(1261-1264)は「イエス」を「あなたの子」に付け加えたのです。これで第一の部分が出来上がりました。

第二の部分は少しずつ出来上がりました。14世紀には「神の母聖マリア」に呼びかけて、罪びとである私たちに、神との和解と豊かな恵みが与えられるように取り成してくださることをしきりに頼みます。最後にピオ5世(1566-1572)は、「今も、死を迎える時も」と言う言葉を入れてやっと『アベマリア』が完成されたのでした。

プロテスタントの方からよく挙げられる疑問は、次のようなことではないかと思います。キリスト者として、誰でも直接に神に接近することができて、キリスト以外に仲介者はだれもいません。もちろんいつでもだれでも直接に神に向かって、助けを頼み、キリストを通して、父なる神にすべての祈りを捧げることができるばかりでなく、しいて言えば、聖人と聖母のとりなしを求める義務がないと言えるかもしれません。しかし、キリスト教の早くから殉教者を通して神の導きと力を祈る習慣が入りました。それと同時にギリシア・ロシア教会とローマ・カトリック教会で聖母マリアの信心が栄えてきました。確かに、そのような信心の表現は度を越えたものも無くはないので、プロテスタントの反応が引き起こされたのです。残念だなぁと言うしかありません。

すべての恵みの源である神は、肉となった御一人子を仕わすことをお定めになりました。その計画を実現するために、恵み溢れる乙女の協力は必要でした。そんな人類の歴史の中で、二度と起こらないすばらしいお告げをした天使はマリアに「主があなたと共におられる…聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む…」。そして、その聖霊に導かれて、マリアは「今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう…」(ルカ 1・28、35、48)

時があっという間に経ちました。イエスは十字架に付けられて息を引き取られる前に、「母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に『婦人よ、御覧なさい、あなたの子です』と言われた。それから弟子に言われた。『見なさい。あなたの母です。』」(ヨハネ 19・26-27)。多くの、非常に多くの人にとってこのような言葉は、母マリアの取り成しを求めて祈るための大きな力と慰めになります。    
   
『恵みあふれる聖マリア、…』

主任司祭 ハイメ・カスタニエダ