5月の第五地区会議(神父と教会委員長)の時に、“ミサのない集会祭儀” についての話が出ました。驚いたことには、鍛冶ヶ谷教会を除いて、どの教会もまだ行ったことがないということでした。私たちは、もう6回も実施していて、かなりしっかりとした「式次第」があります。鍛冶ヶ谷教会では今年も “ミサのない集会祭儀” を8月8日(日)に行います。皆様には是非参加していただきたいと思います。この事に関連したいくつかの大事なことを思い出すままに書いてみます。
ごミサに与るたびに皆一緒に祈り、神のみ言葉を聴き、復活なさったイエス様を個人として自分の心に受け入れるばかりでなく、イエス様が最後の晩さんの間に定められたように、彼が十字架上ですべての人の救いのために命をささげた偉大な業を、パンとぶどう酒のしるしのもとで、司祭と会衆が神秘的に再現します。毎週このありがたい感謝の祭儀に参加することができ、神様がわが主であると共に我々の命を捧げることができるのは、何と貴重な特権と恵みでしょう!

ところが不幸なことに、現代の教会は、日本も含めて、多くの国では司祭の数が減っていくばかりで、その傾向が変わるという兆候も見えません。しかし、歴史を振り返ってみますと司祭不足のために多くの小教区で、ミサが正規に行われなかったことがあり、今が初めてではありません。事情は異なるでしょうが、キリスト教の迫害、司祭たちの投獄や死刑、宗教戦争、社会の非キリスト教化、広い領地に散らばっている信者などの理由があげられます。このような状況の下でローマ帝国の迫害のときから、拘置されていた信者にご聖体を密かに一般信徒の勇気のお陰で差し入れたことがありました。フランス革命の後でのフランスとベルギーにおいて、また、第二ヴァチカン公会議の後でのラテン・アメリカのいろいろな国にあっては、司祭がいなくても共同体が集まって祈りをし、聖書朗読とそれについてのお話の後、ご聖体が配られる“集会祭儀”がおこなわれてきたということを、数年前にメキシコから帰られたシスター伊藤晶が話してくださいました。

要するに、ただ一人だけでご聖体をいただいて、聖書を読んだり祈ったりするよりも、同じ主イエス・キリストを信じる人々が集うのは、信仰を生き生きとしたものにするために非常に効果的です。ミサの始めの入祭の歌は、主の家に集まった仲間たちへの喜びと歓迎の気持ちをこめて歌います。閉祭の歌は、イエス様の愛を各自が生きている世界の人々に伝えたい熱意に溢れる歌で、この気持で皆さんがいろいろなところへ派遣されて行くならば本当に素晴らしいことです。

皆さんがよく準備をしていらっしゃれば、実際にそうしなければならないときが来た時、同じ信仰を持って、同じ聖霊に導かれて、同じ復活なさったイエス・キリストに結ばれながら、同じ聖なる普遍の教会に属する方々と集う喜びをきっと味わうに違いありません。8月8日(日)10:00からの “主日の集会祭儀” に大きな期待をもって参加してくだされば幸いです。


主任司祭ハイメ・カスタニエダ

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ハイメ・カスタニエダ司祭のプロフィール
フェルナンデス・カスタニエダ・アルバレス・オソリオ・ハイメ
1931年 スペイン・マドリッド生まれ
1948年 イエズス会に入会し、1958年来日
1964年 叙階
1966年より米国のSaint Louis 大学に留学
1970年から上智大学で教鞭をとる
退官後、2003年カトリック鍛冶ヶ谷教会に赴任