キリストの受難よ わたしを強めてください

私たちが生きている間、努力をすれば現実に立ち向かって、仕事、家庭、勉強、人間関係などの勤めを果たしつつ生き抜くことが出来るということがあります。しかし時には、誰も何も必要とせず、自分だけで生きていけると自慢する現代侍のような人がいるかもしれません。

けれども、たとえば重病になったとき、人間に内在している弱さを実感して、自分だけでは生きていけないと思うことがあるでしょう。私たちには、医者、看護婦、家族、お金なども必要です。その上個人的又は集団的な事故、あるいは、東北関東大震災のような、多数の死者を出す災害に遭遇して、正に「受難」と呼ばれる状態に置かれることもあります。
元気よく生きる妨げになることの一つに、しばしば自分自身に問題がある場合があります。臆病、小心の傾向にある人。痛み、苦しみ、落胆、苦悩に対するこわがり。そして自分に、他人に、神に失望するということがあるならば、生きることは本当に辛いものになります。本人にとってそれを「受難」と呼んでも過言ではないでしょう。幻滅は非常に危ない誘惑です。自分の心を満たしていたものが消えてしまうならば、すべてを失う危険があります。救いはイエス・キリストにあります。

イエスは私たちの人間の弱さを体験しました。特に御受難は恐ろしい経験でしたが、それを乗り越えて、すごい力の泉になりました。肉体の痛みは生活の一部です。ご自分の生涯の使命の失敗は想像を絶する悲しみだったでしょう。ローマ人の残酷な懲罰―鞭打ち、茨の冠をかぶせられ、十字架に釘づけにされて死ぬという不当なことを受け入れられたのは、弱くて不平たらたらの私たちにとって何と強い衝撃でしょう。

「一同がゲッセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、『わたしが祈っている間、ここに座っていなさい』と言われた。そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、彼らに言われた『わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい。』少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、こう言われた。『アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、私が願うことではなく、御心に適うことが行われますように。』………(それで弟子たちに言われた)『立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。』」
(マルコ14・32−36,42)

イエス様と一緒に生きていきたいと強く願いながらも、勇気のない、力のない私たちは、心から叫びましょう。

「キリストの受難よ わたしを強めてください」

2011年4月1日
主任司祭 ハイメ・カスタニエダ


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ハイメ・カスタニエダ司祭のプロフィール
フェルナンデス・カスタニエダ・アルバレス・オソリオ・ハイメ
1931年 スペイン・マドリッド生まれ
1948年 イエズス会に入会し、1958年来日
1964年 叙階
1966年より米国のSaint Louis 大学に留学
1970年から上智大学で教鞭をとる
退官後、2003年カトリック鍛冶ヶ谷教会に赴任