―三位一体ベネディクト修道会
     再生のための安らかな家 ―

2011年9月21日早朝、私たちは電車で大船を発って新宿に向かい、そのまま長野県の富士見駅をめざしました。修道院はベネディクト会士が言うように実に落ち着いた静かなところでした。五人のグループで出かけました。
周囲の静けさ、時に唱えられ、時にリズムをつけて歌われる熱心な祈り、閑静な聖体訪問、清楚な小部屋、小鳥のさえずり以外に何も聞こえない静けさ、落ち着いた静かな夜、これらすべてが、神が近くにおられ、自分が自分自身であることを心の底から感じさせてくれます。特別な努力なしに自然と自分に向きあうことができます。それは自分自身を知るために大切で必要なことなのです!
このことを頭に入れておくと、教皇ベネディクト十六世が最近言われたことを容易に理解できます。教皇様は、10月9日、南イタリアのカラブリア州にある、カルトゥジオ修道会の修道士達に次のように話されました。「現代の生活は静けさを必要としています。現代社会の静けさの欠如は、人々の生活を煽動的なものとし、ときには苦痛さえ与えます。。。。人はもはや長い時間静かにしていることができません。そのような状態に生まれた多くの若者達は、少しでも時間があれば、その時間を音楽やイメージで埋めようとしていて、空虚な時間が怖いとさえ感じているようです。」

修道院の訪問は教皇様の南イタリアへの日帰り旅行の最後の目的地でした。セラ・サン・ブルノの町に着くと、三万人を超える群衆が、専用の車で街を通る教皇様を出迎えました。
この地方修道院は900年以上前にドイツ人でカルトゥジオ修道会を創立した聖ブルノによって創建されました。

教皇様はこの修道会の静謐(せいひつ)と現代社会の喧噪を対照して話をされました。

「このことに気づかないで、人々は朝から晩まで、生活に付随しているオーディオビジュアルのために、ヴァーチュアルな次元に浸りきりになっています。」

教皇様は、カルトゥジオ修道会の静謐のカリスマは「教会と世界にとってかけがえのない賜物であって、それは私たちと人間性に関する特別なメッセージを含んでいます。」と言われました。「静謐と孤独に立ち戻ることは、云わば、裸の真実に触れることです。そうすることによって、人は神の完全性と存在、そして私たちの五感を越えた本当の真実を経験することができます。」

 教皇様は修道士達の晩課、即ち教会の夕べの祈りに加わられましたが、修道院に入る前に、年功を積んだ修道院生活は、現代の新しい思潮に対する厳しい批判であると指摘されました。その思潮は「キリスト教的でなく、強いて言えば、人間的考えかたでさえありません。なぜならば、それは経済的な興味に支配されているからです。」即ち、単にこの世のもの、精神的でないものにのみ関心を持っています。教皇様は、そのようなメンタリティーに基づく社会は、「神を軽んじているばかりでなく、隣人をも軽んじており、そして私たちは共通善を目指して努力していません」、そして、修道院はそれとは全く逆に、「神と兄弟愛に焦点をあてた社会のモデルであって、私たちの時代に必要とされるものなのです。」と言われました。

 これらの言葉は若い世代の人達に必要な言葉ですが、いつもとても忙しく、あまりにも沢山の重要でないことに心労を重ねている私たちにも必要な言葉です。

主任司祭 ハイメ・カスタニエダ
2011.12.8

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ハイメ・カスタニエダ司祭のプロフィール
フェルナンデス・カスタニエダ・アルバレス・オソリオ・ハイメ
1931年 スペイン・マドリッド生まれ
1948年 イエズス会に入会し、1958年来日
1964年 叙階
1966年より米国のSaint Louis 大学に留学
1970年から上智大学で教鞭をとる
退官後、2003年カトリック鍛冶ヶ谷教会に赴任