毎日が駆け足で過ぎていくように感じられるこの頃です。ハロウィンも過ぎ、待降節が真近かに迫ってきました。クリスマスを迎えるために心を準備する季節ですが、世間一般では私たちに先立って準備され、あちらこちらのショーウインドウにクリスマスグッズが展示されていますし、ジングルベル等の音楽が聞こえてきます。
一般社会にも、復活祭とは違ってクリスマスのイメージはそれなりに浸透しています。子供の祭り、サンタさんが来る時、ピカピカする飾りもその一部です。そして一般の人の中にもクリスマスは教会へという考えが徐々に広まってきています。

信者の私たちが親しみをもって歌っているあの曲、“Silent night holy night”は、クリスマスの心を最も伝えているといえましょう。恐らく初めの頃のクリスマスは何の飾りもなくて、貧しさだけが目立っていました。静かでした。しかし、あの静けさの中に起こった事、藁の上に寝かされ、マリアとヨゼフに見守られている子供がだれであるかと考えれば、それが他ならない人間になった神の御子であると思えば、神秘に満ちた聖なる夜となります。ヨハネの福音書にこう書いてあります“わたしたち皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に更に恵みを受けた”これにクリスマスの神秘の根本があります。神の愛の心がそこに示されています。クリスマスは神様の“I love you”です。あの初めのクリスマスの場面の前に、静かになって拝むしかない。

さて、人生の旅の途中である私たちに、クリスマスは毎年やってきます。子供たちに来る、老人にも来る、健康な自分に、あるいは、病気で不自由になっている自分に来ます。どんな状況におかれていてもクリスマスは来ます。おかれている状況によっては、派手な飾りと賑わいが合わないかも知れません。ましてや、メリークリスマスの挨拶はピンとこないでしょう。しかし、どのような状況にあっても、クリスマスのメッセージに変わりがありません。神様の“I love you”は皆のために向けられています。それを受け入れることさえ出来れば、私たちは変ります。

待降節にあたって祈りましょう。子供のころ私が育ったアイルランドにはきれいな習慣がありました。それは、クリスマスイブの夕方、ローソク一本を窓に灯すことでした。それは旅をして来られるマリアとヨゼフを歓迎する合図でした。

祈りながら、心の窓に愛と希望の明りを灯しましょう。人生に意味が見つけられない人のために、若くても閉じこもっている人のために、愛する人を亡くして悲しみの中にいる人のために、神様に愛されていることが一人でも多くの人々に通じるように祈りましょう。そして最後に、馬小屋に生まれた方が、私たちの心にも新たに生まれて成長するように。

クリスマスにあたって、初めて教会を訪れる方々に、神様の温かい心が伝わるように努めましょう。

2012年 12月
主任司祭 パトリック・ブランチフィールド