2012_05Branch

 空は青く、色とりどりの花が一斉に咲き出した五月も終わりに近づきました。季節は梅雨から初夏を迎えようとしています。
 さて、ここでは普段あまり話題にしてこなかった一つのことに触れてみたいとおもいます。
 今年一月以降をみましても、私たちの共同体で亡くなられた方が何人もおられます。ご葬儀をとおして親しんできた友人との別れに深く考えさせられた人も少なくないでしょう。
「そろそろ私も身の回りを整理しておこう」とか、「教会のお葬式はどうなっているのかしら」などとの話も多く聞かれます。
 これらについて、近いうちにみなさんと話し合いの場を設ける予定ですが、その一端をここでも取り上げてみたいとおもいます。
お葬式をどうするか、というより先に大切なことがあります。ご本人ならば、どのような心を持って死を迎えるかということです。私が神様にいつも願っていることは、死が迫ってきたと感じた人が、意識のはっきりしているうちに心の整理ができて、ゆるしの秘跡や病油の秘跡を受け、そして旅立つための心の糧となるご聖体をいただいて欲しいということです。理想でしょうが幸せな死を迎えるには、これらを通して準備をし、祈ることが最も大切だからです。
 実際には一人一人事情があり、また一人では決められないことが沢山でてくるでしょうが、司祭は病気の皆さんのために世話をする義務があります。病気のときは遠慮しないで司祭を呼んでください。病気と闘っている人が平和になることが何より回復への道なのですから。
 また一方では、病気になりますと病人だけの問題ではなくなります。ご家族、ご親戚の方々の接し方が大切です。友人としての私たちの心もちも大切です。病気が重くなればなるほど、つい一時的な慰めの言葉や、場違いの励ましなどでごまかしてはいないでしょうか。お芝居を演じてしまうことも。
 しかし、ある段階では病人のために正直になることが必要です。病人は本当の慰めと支えと希望を望んでいるからです。最も大切なことは病人の傍で、病人と共に祈ることです。特に危篤状態になられたならば一緒に居て共に祈りましょう。聖母マリアの祈りをゆっくりと心を込めて。

2016年 5月
主任司祭 パトリック・ブランチフィールド