主任司祭 パトリック・ブランチフィールド


 私が鍛冶ヶ谷教会に赴任してから、すでに五年以上が経っています。その間に皆さんと一緒にさまざまな行事をこなす事が出来ました。小教区発足二五周年記念のお祝いをはじめ、二回の堅信式、毎年の復活祭には多くの受洗者に恵まれました。結婚式も三回ありました。そして私自身の八十歳のお祝いもしていただきました。すべてが大勢の方々の協力によるものであって神様に感謝しています。

 しかし、五年経ったものの、私はまだ皆さんを名前で呼べません。日曜日にロビーに立って礼儀正しくお辞儀を交わすだけで終わってしまいます。個人的に話し合うことがほとんどありません。それでは淋しいので、この頃は、信徒名簿とそれぞれの地区の地図を手にしながら訪ねるようにし始めました。

 以前、家庭訪問をする時は、その人を知っていて玄関のベルを押したものですが、今は違います。ベルを押してどなたが出てこられるのか分りません。その人がつい先日教会で話をした人かも知れないし、私の全く知らない人かもしれません。このような違いがあっても私に対する反応は同じなのでびっくりします。家の中に招かれることもありますし、玄関での話で終わることもあります。私にとってはどちらでも良く、お話し合いができればうれしいのです。

 私の訪問を多くの方々は喜んでくださいますが、このことを通して気づかされたことがあります。長い間教会から遠ざかっていた方が、その理由を正直に話してくだること、その正直さには尊敬の念を覚えます。

 私はお伝えしたいのです。たとえ教会に足を運んでいなくても、みなさまは神様から離れてはいないのです。神様もお離しになっていません。

 洗礼は私達のアイデンティティです。教会はひとつの家族で、私たちは皆兄弟姉妹です。何らかの理由があって教会に行かれなくても、自分を卑下しなくても良いのです。お互いに祈りましょう。祈っていることが大事です。

 教会の敷居が高いと思わないでください。いつでも教会はあなた方のお帰りを待っています。お互いのために祈りましょう。