主任司祭 パトリック・ブランチフィールド


 昨年8月15日に出た「ひろば」53号に、わたしは共同体について書きましたが、今度は「共同体とわたし」について考えて書きたいと思います。

 この前に言ったように、わたしたちはいい共同体に恵まれています。温かくて、家族的な雰囲気があります。全体のために目立たないところで協力している人々は少なくない。若い家族に恵まれていますし、子どもたちは世話されています。ご年配の皆さんのために年に一度の敬老会のほかに、鶯の会もあります。

 弱点があるとすれば、わたしたちが名前で関わっていない。長い間同じ玄関を出入りして、顔をおぼえていても、名前を知らない、しかも聞くにはもう恥ずかしい。

 このような状態では、家族の中の連帯と帰属感が弱いのではないかと思います。そしてわたしも例外ではない。鍛冶ケ谷に来ましてから、もう六年がたっていますのに、皆さんの大半を名前で呼べない。毎日曜日に玄関で声掛けもせずにすれ違っているだけです。司祭として、皆さんのためにいるのにいけないと思います。

 どうしたらいいかと思うと、皆さんとの接点を設けることがほしい。地区にも地域にもこだわらずに小さい家庭集会をしたい。「うちでもどうぞ」という人のところ、それがどこであってもいい。日曜日がよりいいが平日でもいい。近くに住んでいる信者に声をかけて集まるだけで、自己紹介して、日ごろ考えていること、悩んでいることについて話し合って、一時間半ぐらいで終わり。原則として (1)お茶以外に出してはいけない。 (2)参加者は手ぶらで来ること。

 司祭として、皆さんのために祈ることはわたしの生活です。知らない人のためよりも知っている人のためのほうが祈りいいでしょ。

 わたしのこの提案はどうでしょう。ご協力をお願いします。