印刷など用にWordファイルでダウンロードしたい方はこちら

いのちを守る聖ヨセフ NO.1

主任司祭 ヨハネ・ボスコ 林 大樹


 教皇フランシスコは、2020年12月8日〜2021年12月8日を「ヨセフ年」とすると宣言されました。聖ヨセフについて、とくに「いのちを守る聖ヨセフ」の姿を私なりに下記にまとめました。

1.マリアの尊厳を守るヨセフ
 ユダヤ人には、結婚に先立って1年に及ぶ婚約の期間がありました(マタイ1章18節)。婚約は結婚と同様の法的重みを持つと理解されました。婚約者は、夫、妻と呼ばれました。だから、婚約した女性が姦淫の罪を犯したと断定されると、既婚者の場合と同じく石打の刑に処せられました(申命記22章23−24節)。婚約中のマリアが不義で妊娠したのであれば死罪に当たることになります。
 ヨセフが正しい人といわれるのは、律法を忠実に守る人であることを意味しています。だから、ヨセフはマリアを離縁しようと決心します。ところが、ヨセフはマリアのことを表ざたにすることを望みませんでした(マタイ1章19節)。そこに正しい人ヨセフのジレンマを見ることができます。
 夫と共に住み始める前に妊娠した女は、故意に結婚外の関係を結び、不品行の罪を犯したか(申命記22章20―24)、あるいは本人の意志に反した暴行によるので無実であるか(申命記22章25―27節)、2通りの可能性があります。故意の罪であるのか、それとも無実であるのか、ヨセフは裁判に訴えることもできました。「夫ヨセフは……ひそかに縁を切ろうと決心した」(マタイ1章19節)の「ひそかに」は、誰にも知られないでという意味ではなく、マリアの尊厳を守るため、マリアの行為を裁判などにより公式に追求しないで、離縁しようと決心したという意味です。正しい人ヨセフの正しさは真の優しさにあったのです。

2.神の望みを実行する人
 ヨセフが離縁を決めたのは、マリアが身ごもっている子どもの父親が誰であるか分からなかったからです。ヨセフ自身が父親ではありません。とすれば他の人間の誰かが父親であるとしか考えられません。そこに、天使が夢に現れて告げます。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ1章20−21節)。天使はヨセフがすでに知っていることを語ったのではありません。むしろヨセフが知るべきことを語ったのです。「父親になるであろう」と告げるこの天使の言葉は、ヨセフへの受胎告知であるとともに生まれてくる子どもに定められている神の計画を伝達しています。
 ヨセフが天使の命じたとおり(=神の望みどおり)マリアを迎え入れ、胎の子にイエスと名付けたことは(マタイ1章25節)、イエスのアイデンティティにとって決定的なことでした。生まれてくる子はヨセフの子、つまり、ダビデの子孫でなければならないのです。ヨセフは子に名前を付けることで、ユダヤの法律で認められた父となりました。ヨセフがその子に与えた名前はイエスでしたが、それは「自分の民を罪から救う」という意味があります(マタイ1章21節)。こうして、神の望みを実行し、マリアの胎の子はヨセフが名付けることでダビデの子孫となり、「ダビデの子、民を罪から救う方」となるのです。