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人々はイエスにつまずいた―年間第14主日B年

ヨハネ・ボスコ 林 大樹

  マルコによる福音6章1−6節

 全体の構造・ギリシア語原文の直訳
a  多くの者が聞いて、たまげて、言った。
 b  「どこから、この人にこのことが。
    何か、彼に与えられた知恵と彼のによるは。
  c  彼は大工ではないのか、マリアの子、…………
     彼の姉妹たちはここに、我々と共にいるではないのか?」。
   d  彼らは彼につまずいた
  c´ イエスは彼らに言った、
     「預言者は自分の故郷……以外では敬われなくはない」。
 b´ そこでは何ひとつを行えなかった、
    わずかな病人にを置いて癒されたのを除いて。
a´ イエスは彼らの不信仰に目を疑った

 今日の福音の中心(3節d)
 今日の福音の中心には、d「彼らは彼につまずいた」が置かれており、それ以前のaからcでは故郷の人々がイエスにつまずく過程が描かれ、後半のc´からa´では彼らのつまずきに対するイエスの反応を述べています。
 「つまずく」の語源は「ピシャリと跳ねる、閉じる」です。そこから「罠(わな)」を意味するようになり、聖書では罪との関係で「罠にかかる」「落とし穴にはまる」の意味で使われています(シラ書23章8節、ヨシュア記23章13節)。今日の福音のテーマは、故郷の人々が落ち込み、イエスを見誤る原因となった「罠・落とし穴」とは何かを語ることにあります。

 aとa´(2節b・6節a)
 aとa´の対応関係は、「たまげた」と「目を疑った」によって作られています。故郷の人々はイエスの教えに肝をつぶすほど驚きました(たまげました 2節b)が、それはつまずきへと向かってしまう驚き(6節a)でした。イエスはそれに驚きます(目を疑います)。 
 2節b「驚く(エクプレーソー)」は「エク(外へ)」と「プレーソー(打つ)」との合成語であり「(思わぬことに出会って)意識を外へ打ち出す」、つまり「たまげる」とか「肝をつぶす」の意味の言葉です。この言葉はひどいことに驚くときにも(マルコ10章26節)、素晴らしいことに驚くときにも(マルコ11章18節「打たれる」)使われます。
 イエスの教えを聞いた故郷の人々は驚きますが、この驚きは中立です。イエスにつまずく驚きにもなり得(え)るし、称賛する驚きにもなり得(え)ます。だが、3節dで「つまずいた」となりますから、2節bの中立だった驚きは、つまずきへと、つまり「落とし穴」へと落ち込んでしまいました。
 6節aのイエスの「驚き」は2節bの「驚き」とは別の言葉が使われます。こちらの「驚き」は「タウマゾー」であって、語源的には「見る(テアオマイ)」と関係があります。とすれば、この「驚き」は「目を疑う」の意味です。この言葉もよい意味にも悪い意味にも使われます。ここではもちろん悪い意味で使われています。故郷の人々の「たまげる」は信仰に至らず、逆に「つまずき」に終わってしまいます。それを目撃したイエスは、あってほしくないことを見て、「目を疑います」。

 bとb´(2節c・d、5節)
 bとb´の対応関係は「力と手」によって作られます。ここでの「力」はイエスの手を通して行われる「力ある業=奇跡」のことです。故郷の人々はそれに驚きましたが、つまずきました。そのような人々の前では、イエスは「力」を行うことができませんでした。行ったとしても、誤解されるだけだからです。

 cとc´(3節a−c・4節)
 cとc´の対応関係は、イエスの地縁とか血縁への言及によって作られます。また、cでは否定の疑問文によってイエスを自分たちと同じレベルに引きずり降ろそうとする彼らの強情さが表され、c´では否定文によって故郷での預言者の運命が明らかにされます。

 今日の福音のまとめ
 今日の福音の故郷の人々は、イエスの人間的な面にこだわりすぎ、心が頑な(かたくな)となりました。彼らは、イエスが大工であり、その家族を知っていると言います(3節a−c)。こうして、人々はイエスにつまずきます(3節d)。イエスのうちに、イエスの知恵と力(奇跡)のうちに(2節d)、神の姿ではなく、肉の姿しか見ない人は、皆つまずきます。
 イエスは郷里の人々の不信仰に驚かれ(6節a)、「そこでは、ごくわずかの病人に手を置いて癒されただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった」(5節)と書いています。なぜできなかったのでしょうか。信仰がないからです。信仰によってのみ、奇跡の中に神の力と働きが見えるからです。信仰はイエスが人の心の中に入っていく扉です。しかし、その扉は内側からしか開くことができません。神は奇跡という外側の力ではなく、信仰という内側の心の扉の開きから救いが実現することを望まれているのです。
2021年7月4日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教

※ 注(Web担当者より)
●本文序盤で「下線+太字」にしている部分は、原文では二重下線ですが、Web上で二重下線にするのは難しいので、下線+太字で代用させていただきました。
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