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いのちを守る聖ヨセフ No.2

主任司祭 ヨハネ・ボスコ 林 大樹


 13節 占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、その子を探し出して殺そうとしている」。14節 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、15節 ヘロデが死ぬまでそこにいた。それは、「私は、エジプトから私の子を呼び出した」と、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
 16節 さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。17節 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。18節 「ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子どもたちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子どもたちがもういないから」。
 19節 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、20節 言った。「起きて、子どもとその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった」。21節 そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰って来た。22節 しかし、アルケラオが父ヘロデの跡を継いでユダヤを支配していると聞き、そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤ地方に引きこもり、23節 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレの人と呼ばれる」と、預言者たちを通して言われていたことが実現するためであった(マタイ2章13−23節)。


 教皇フランシスコは、2020年12月8日〜2021年12月8日を「ヨセフ年」とすると宣言されました。聖ヨセフについて、とくに「いのちを守る聖ヨセフ」の姿を私なりに下記にまとめました(7月号No.1の続編です)。
3.苦境の中でイエスとマリアのいのちを守るヨセフ
 天使が夢でヨセフに現れて、「起きて、子どもとその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」(13節)と告げます。ヨセフは幼子とその母親を連れてエジプトに避難します(14節)。
 「私は、エジプトから私の子を呼び出した」(15節b)は、ホセア書11章1節bからの引用です。マタイは、イエスのエジプトへの避難とエジプトからの帰国が旧約聖書の預言の成就であると説明します。
 18節は、エレミヤ書31章15節からの引用です。ヘロデの無慈悲な行為をマタイは旧約聖書の預言の成就であると見ています。ラケルはヨセフとベニアミンの母で、北イスラエルの住民の祖先です。ラマはラケルの墓がある町です。北イスラエル王国が滅亡し、北イスラエルの人々が捕虜となってラマを通過したとき、いわば草葉の陰でラケルが子孫の悲劇のために泣いたという伝説がありました。マタイは、ヘロデによるベツレヘムの悲劇をエレミヤ書と関連づけて、ラケルの泣いた悲劇が再び繰り返されたと考えたのです。
 ヘロデが死ぬと、天使が夢に現れ、「起きて、子どもと母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい」と告げます(19―20節)。ヨセフは、幼子とその母親を連れて、イスラエルの地に帰ります(21節)。そして、再び夢でお告げがあり、ガリラヤ地方のナザレの町に住みます(22―23節)。こうしてイエスは「ナザレの人と呼ばれる」ようになります(23節)。
 イエスが「ダビデの子」であれば、当然ベツレヘム出身のはずです。マタイは、イエスはベツレヘムに生まれナザレに移ったのは止むを得ぬ事情によるのであり、しかもそれは旧約聖書にあらかじめ計画されていた(23節)と主張します。
 このようにヨセフはいくつもの試練が与えられましたが、それらを意味のあるものに変えていきました。「苦境の中でイエスとマリアのいのちを守るヨセフ」は、イエスが実現する新しい神の民の過越―受難を経て復活へ、つまり「苦しみを経て栄光へ」―に前もってあずかったと言えます。ヨセフは言葉より行動の人、イエスとマリアにとってなくてはならない心強い守護者でした。そして今や私たちの模範であり、保護者なのです。

※ 注(Web担当者より)
●本文中、斜字(イタリック)になっている部分は、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、斜字で代用させていただきました。ご容赦を。
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