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主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう―聖母の被昇天B年―

ヨハネ・ボスコ 林 大樹

  ルカによる福音1章39−56節

 山里に向かうマリア(39節)
 「あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」(ルカ1章36−37節)。マリアは単純に親類を訪問したのではありません。なぜなら、天使が神の計画としてエリサベトの妊娠を告げたからです。つまり、マリアが急いで山里に向かった(39節)のは、マリアが神の計画に従順に応えたという意味になります。

 マリアとエリサベトの出会い(40−44節)
 マリアとエリサベトの出会いの場面は、成人してからのイエスと洗礼者ヨハネの関係を反映しています。「そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは、聖霊に満たされて、声高らかに言った。『……私の主のお母さまが私のところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました』」(40−44節)。
 洗礼者ヨハネはイエスの先駆者として、イエスを人々に主メシア、神の子として紹介する使命を持っています。さらに、人々がイエスを主(しゅ)であると信じるのは聖霊によってです(使徒言行録参照)。即ち、エリサベトは、洗礼者ヨハネが成人となりイエスに紹介する人々の先取りとなります。なぜなら、エリサベトがマリアの胎の子が主イエスであることを知ったのは、胎内のヨハネがおどって紹介したからです(41節・44節)。そして、エリサベトが主イエスと信じ、マリアを「私の主のお母さま」(43節)と祝福するのは、聖霊に満たされたからです(41節)。

 神の言葉を聞いて行う人(45節)
 聖母の被昇天の前晩のミサには、一人の女性がイエスに叫んだ賛辞とそれに対するイエスの返答が朗読されます。「イエスがこれらのことを話しておられると、ある女が群衆の中から声高らかに言った。『なんと幸いなことでしょう。あなたを宿した胎、あなたが吸った乳房(ちぶさ)は』。しかし、イエスは言われた。『むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である』」(ルカ11章27−28節)。
 群衆の中から叫んだ女性と同じように、エリサベトは、マリアがイエスの血縁の母となることを祝福します。「あなたは女の中で祝福された方です」(42節)。
 しかし、イエスは群衆の中の女性の言うことを修正します。同じように、エリサベトは、イエスの血縁の母であることを祝福したあとで、「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(45節)と言います。つまり、神の言葉を聞き、それを実行することがこの上なく大切だとして、イエスがマリアを誉めたたえた言葉「私の母とは神の言葉を聞いて行う人である」(ルカ8章21節)を先取りするのです。

 マリアの賛歌(46−56節)
 マリアは「マリアの賛歌」(マグニフィカト)を歌います。この歌は、イエスが語る「幸いと不幸」(ルカ6章20−26節)を先取りしています。 
 貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、……あなたがたは幸いである。……天には大きな報いがある。……。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人々にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。
 「マリアの賛歌」は、歴史的には、イエスが「幸いと不幸」を告げ知らせた後に作られました。「マリアの賛歌」の中心部分「思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます」(51−53節)は、「幸いと不幸」の対比を使った表現を取り入れて作られたものです。

 今日の福音のまとめ
 「お言葉どおり、この身になりますように」(38節)。お告げの場面でマリアは、イエスがダビデの王座を継ぐメシアであり(32節)、神の子である(35節)という福音を聞いて、それを受け入れ、イエスの最初の弟子となります。「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」(45節)。エリサベト訪問(39−45節)の場面でマリアはこの福音を他の人々と分かち合います。「神は力をあらわして、低い者を高く上げ、飢える者を満腹させる」。マリアの賛歌(46−56節)の中でマリアが解釈した福音を聞きます。
 最初のイエスの弟子となったマリアは、弟子であることの模範を私たちに示します。神の言葉を聞き、それを受け入れたならば、それを他の人と分かち合う必要があります。しかし、単に聞いた言葉を繰り返すだけではなく、解釈してそれを福音(よい知らせ)だと他の人が理解できるようにしなければならないのです。
2021年8月15日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教

※ 注(Web担当者より)
●本文中、斜字(イタリック)になっている部分は、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、斜字で代用させていただきました。ご容赦を。
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