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いのちを守る聖ヨセフ No.3

主任司祭 ヨハネ・ボスコ 林 大樹

 教皇フランシスコは、2020年12月8日〜2021年12月8日を「ヨセフ年」にすると宣言されました。聖ヨセフについて、とくに「いのちを守る聖ヨセフ」の姿を私なりに下記にまとめました(7・8月号の続編)。
4.目立たずとも、自分の役割を守る人
 「あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升(ます)の下に置く者はいない。燭台(しょくだい)の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである」(マタイ5章13−16節)。
 光は升の下に隠れていては駄目で、表(おもて)に出て光り輝きます。灯台の光のように、高い所に立って、光があるぞと人々に知らせることが大切です。一方、塩は、その姿のままであっては、塩からいだけです。それが水にとけて姿を隠し、食べ物の中に入って、はじめて、その味が真価を発揮します。塩は表(おもて)に出ていては駄目で、隠し味として力を出します。このように、キリスト者の働きには、塩と光があり、その二つがなくてはならないものです。
 マタイ福音書1−2章で、ヨセフは目立っているように見えますが、実際の中心人物は「幼子とその母マリア」です。占星術の学者たちがベツレヘムで「家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた」(マタイ2章11節)と書かれていて、ヨセフの名はありません。エジプトに避難し、また戻るときにも、ヨセフは神の意のままに「幼子とその母」(マタイ2章13節、14節、20節、21節)を連れて行く役を黙々と果たすだけです。あくまでも主人公は「幼子とその母」で、ヨセフは彼らに寄り添い、彼らを守るわき役でしかないのです。
 塩と光の話に戻ると、このあたりに日本のキリスト者の問題点がありそうな気がすると指摘している人がいます。どうも、いつも光でいたがり、塩であっても、隠し味として存在することが下手で、つい、表(おもて)に、ここに塩ありと出てしまうか、消えて見えないなら、とけてしみこまない方(ほう)が良いと思ってしまうところがあるのではないでしょうか。
 ヨセフは目立たずとも、自分の役割(日々、大工の仕事で聖家族の生計を立て、イエスを教育し、マリアを支える役割)を誠実に守り、果たしました。「目立たずとも、自分の役割を守る人」ヨセフは、(塩の話が意味しているような)どんなに小さな目立たない隠れた仕事や奉仕であっても、皆のために必要だと感じて社会や教会の中での自分の役割を守り、それを誠実に果たすことが大切だと教えているのではないでしょうか。

※ 注(Web担当者より)
●本文中、斜字(イタリック)になっている部分は、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、斜字で代用させていただきました。ご容赦を。
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