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ヨセフ年
―聖ヨセフへの祈り―

主任司祭 ヨハネ・ボスコ 林 大樹


 ヨセフへの関心は、16世紀に高まり、17〜18世紀にフランスで盛んになったと言われています。近世に至るまで、ヨセフに対する人々の思いは、救いの歴史の中で果たす役割よりも、むしろ、忍耐と謙遜、静かな祈り、そして地上の労働など、その人格や生き方に焦点が当てられています。

 地上の者を「父」と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ(マタイ23章9節)。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ(マタイ23章8節)。
 聖書は、人間と人間の関係は皆兄弟であると言います。誰かが誰かを押さえこんだり、誰かが誰かを教えこんだり、そういうことではなく、お互いが育み合い、助け合う。そういう関係しかこの地上には理想としてはあり得ません。他のもの、つまり依存、従属、隷属といったことがあるとすれば、それは地上にあるべき関係ではなく、神に対してだけの関係です。
 今は何かにつけて権威喪失の時代です。家庭における親の権威。教育の荒廃。或いは宗教の権威。昔は本当に権威あるものが、伝統にしろ、しきたりにしろ、それなりにありましたが、今はそれがどんどん無くなっている時代です。
 しかし、これはある意味では良い面があります。つまり「地上の者を父と呼んではならない」とありますが、今では押さえつける権威、力の支配といったものが希薄になっています。これは一つのチャンスです。例えば、親子関係をとってみても、父親だったら何でも子どもが言うことを聞くはずだと思っているような時代は過ぎ去りました。これは、本当に父というものが何であるべきなのか、或いは母というのはどうであるべきなのかを考える手がかりになります。
 今、権威が欠けているのはなぜかというと、本当に信頼できるものがないからです。※実質がないからです。つまり、押さえる力でなくて、育む力をもって、自分の力を一生懸命に使って人を生かそうとする、慈しもうとする、配慮しようとするとしたら、そこには大きな恵みの力が働きます。そうすれば親の権威が別の形でもう一度確立します。教育だって何だって同じです。そういう意味で、まさに今こそ、私たち一人ひとりが天に父を持ち、そしてお互いが兄弟として生きるということが大切になってきているのです。
「イエスとその福音」(岩島忠彦神父著 教友社)179−182頁から
※〔語句の意味〕実質(じっしつ)……実際の内容・性質。例「外見より実質を重んじる」。

 父性が見失われている今、ヨセフの姿を見ながら、社会における父(母)の役割を見つめたいと思います。使徒的書簡「父の心で」の締めくくりに、フランシスコ教皇は聖ヨセフに向かって祈りをささげるよう誘っています。
 おお、贖い主の守護者、聖なる処女マリアの配偶者。神は、その独り子をあなたに託されました。マリアは、あなたを信頼しました。あなたとともにキリストは成長しました。
 祝福されたヨセフ、私たちにも、ご自分が父であることを示し、人生の旅路を導いてください。恵み、憐れみ、勇気を私たちに得させてください。そしてあらゆる悪から私たちをお守りください。アーメン。


※ 注(Web担当者より)
●本文中、斜字(イタリック)になっている部分は、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、斜字で代用させていただきました。ご容赦を。
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