イエスは
手を差し伸べています

主任司祭 ヨハネ・ボスコ 林 大樹


 湖の上を歩く(マタイ14章22−33節)

 22節 イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。23節 群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。24節 ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。25節 夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。26節 弟子たちは、イエスが湖上を歩かれておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。27節 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。私だ。恐れることはない」。28節 すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」。29節 イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。30節 しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。31節 イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。32節 そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。33節 舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。

 新型コロナウイルス感染症は、私たちに様々な「恐れ」を抱かせます。,泙沙爐紡个垢覿欧譴任后この恐れは、集団感染を起こした病院の看護師が子どもと一緒に公園で遊んでいると、別の子ども連れの母親から「公園で遊ばないでほしい」という差別や偏見を生み出します。⊆,蓮⊂来への不安です。自分の蓄えた物を少しずつなくなっていく。緊急事態宣言の期間には、多くの人が失業し、財産を失いました。将来への不安から恐れを抱えることになります。また、罪の問題もあります。隠していた行為が世間に知られることへの恐れです。私の田舎の知人に電話をかけると「感染者にはなりたくない」と言います。「あそこの家から出た!」。田舎で感染者や濃厚接触者になると、町中に噂がすぐに拡がります。
 私たちは「水の上を歩く」ペトロと同じように、願いと情熱をもっていますが、その一方で弱さと恐れを抱えています(28−30節)。この「恐れ」は別の角度から捉えると「痛み」や「疲れ」になります。
 コロナウイルスとの戦いの中で、恐れや不安に押しつぶされると、私たちは疲れ果て、すぐにイエスから目をそらして、ペトロのように沈んでしまうでしょう(30節)。その反対に、弱さや恐れがあっても、しっかりとイエスを見ていれば、喜びと熱意をもって生活をするために必要な意欲を与えてくださいます。イエスは今日も手を差し伸べているのです(31節)。

※ 注(Web担当者より)
●本文の前半、太字になっている部分は、原文ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、太字で代用させていただきました。ご容赦を。