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あなたがたの父が
憐れみ深いように、
あなたがたも
憐れみ深い者となりなさい
―年間第7主日C年

ヨハネ・ボスコ 林 大樹

  ルカによる福音6章27−38節

 愛することと与えること(27−30節)
 今日の福音の冒頭は、原文では「しかし、あなたがたに 私は言う 聞いている者たちに」です。イエスが語りかける「あなたがた」が「聞いている者たち」と説明されています。聖書での「聞く」は「聞いて従う」ことであり、具体的な行動を伴います。
 イエスは「敵を愛しなさい」と言います。イエスはそのあとに、「愛する」ことがどういうことであるのか、また「敵」とはどういう人であるかを説明します。まず「愛する」(アガペーの動詞)とは、「親切にする」「祝福をする」「相手のために祈る」ことです(27−28節)。一方「敵」とは、「あなたがたを憎む者」「悪口を言う者」「あなたがたを侮辱する者」のことです。ある解説書は、ここでの「敵」は教会の迫害者を指していると考えています。
 「愛する」ことはさらに敵に対してさらに積極的に行動を生み出します。頬を打つ者にはもう一方を指し出し、上着を取る者には下着をも拒まず、求める者に与え、奪い取る者から取り戻そうとしません(29−30節)。愛は「与えること」でもあります。
 求める者に誰にでも与えよということは、相手にその権利がなくても、ということです。自分に所有権があっても、奪う者には正当な権利主張によって取り返そうとするなと言います。これは法的規定でも倫理規定でもありません。この世を支配する原則たる力に対して、同じ原則としての力をもって対抗するな、力とは相容れない自由な愛をもって対応せよ、と。正当な権利の主張はあくまで正当ですが、イエスによる神の救い―神の国の次元においては、権利によって要求される救いがあるのではなく、人間の側から主張すべき何らかの権利がなくても、神の側からは自由に与え、愛し救う(35−36節)のであるから、このような神の行為を人に対して行いなさい、というのです。ここで敵への愛とは、敵を感情的に好きになれということではなく、基本的に自分のためではなく他人のために生きるべきだ、ということです。

 第一の柱「黄金律」(31節)
 「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」。これは黄金律と言われています。今日の福音では肯定形ですが、ユダヤ文学その他において一般的に否定形です。「汝(なんじ)の欲せざることを、人にもするなかれ」と。そしてこの否定文は一般にその目的として、復讐(ふくしゅう)されないため、という前提に立つので、用心の賢さが原則です。
 しかしイエスの場合、この言葉の置かれた文脈からも肯定形からも、人からの復讐を避けるためでなく、自分を放棄する他人への愛によって、人にしてもらいたいことを人にもせよ、と勧めています。

 愛するということ(32−35節)
 「……をしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも、……している」(32−34節)という同じ構文が三回繰り返されます。ここでの「罪人」とは、神との関係を持とうとしない人です。それは悪人でなくても、彼らの生活原則はごく当たり前の相互互恵(そうごごけい)の原則に立ちます。愛してくれる人を愛する、返してもらうことをあてにして貸す、と。倫理的に言うなら、それは恩には恩で報いる原則、世間一般の原則です。
 愛せ―善いことをせよ―貸してやれ、という35節の三つの命令は、32節の愛したところで、33節の善いことをしたところで、34節の貸したところで、に対応します。従って、自分を愛してくれる人を愛するだけでなく、敵を愛せ、自分に親切にする人にだけでなく、むしろ敵に親切にせよ、返してもらうことをあてにして貸すよりも、何もあてにしないで貸せ、という命令です。そうすれば、神からの報い、交換原則によってではなく、神からの自由な恵みがあるに違いありません。

 第二の柱「憐れみ深い神」(36節)
 あなたがたの憐れみ深さは、御父の「憐れみ深さ」から来ます。神から離れて、敵を愛そうとしても、徒労に終わります。神へと近づき、その愛に触れるとき、敵を愛することが許され、その力が与えられます。

 与えるということ(37−38節)
 「裁くな」「罪人だと決めるな」と否定の命令形を二度述べた後に、「赦しなさい」「与えなさい」と肯定の命令形を二度述べます。命令形の後に「そうすれば」で始まる平叙文(へいじょぶん)が続きますが、そこでの動詞は原文ではすべて受動形です(裁かれることがない、など)。これらの受動形は神の行為を婉曲的に(えんきょくてき 意味……遠まわしに)示す受動形であるから、人を裁かず、罪に定めず、赦し、与えるのは神です。
 神の近くにいる者は人を裁かずに、赦し、与えることができます。人を裁かずに赦せるかどうかは、自分と神との距離を示す物差しになっています。

 今日の福音のまとめ
 今日の福音は二本の柱で組立てられています。第一の柱は「人にしてもらいたいことを、人にもしなさい」(31節)。人にする具体的内容は、愛せ―善いことをせよ―貸してやれ(35節)の三つの命令です。ところで、罪人の私たちにできるでしょうか。そこで福音は第二の柱を述べます。「あなたがたの父が憐れみように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(36節)。キリスト者は愛というものを一皮むけたものにする必要があるというのです。
2022年2月20日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教