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イエスの顔の様子が変わり、
服は真っ白に輝いた
―四旬節第2主日C年

ヨハネ・ボスコ 林 大樹

  ルカによる福音9章28−36節

 受難予告の後に(28節)
 「この話をしてから」とは、21−27節の受難予告を指しています。この受難予告から「八日ほどたったとき」と日時を書くのは、イエスの変容と受難予告との間の深い関係を示すためです。変容は八日目に起こったのですが、それは安息日(ユダヤ教の安息日は土曜日)の次の日だから、あるいは、それはキリスト者のミサにおいてこの物語が八日目(日曜日)に用いられたことを示すのかも知れません。
 イエスは限られた弟子を連れて山へ登るのは「祈るため」ですが、これは受難が待ち受けるエルサレムへと旅立つ(51節)ための祈りかも知れません。

 イエスの変容(29−31節)
 この祈りの中で、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝きます(29節)。マルコの並行箇所ではこの変化を「メタモルフォオー」という動詞を使いますが、ルカはそれが誤解されないようにと別の言葉「ヘテロス」を用います。その理由ですが、ギリシア神話は「メタモルフォオー」を使って、動物や人間の姿に変身する神々を表すことがあるからです。イエスの変容は外形の変化(変身)なのではなく、神の子(これは私の子 35節)としての本質の現れです。ですから、イエスの服が真っ白に輝いたのは、神の子としての内面が服を通して輝き出たということです。そこには栄光に包まれた「二人の人」も立っており、イエスと彼らはイエスの「最期」について話し合っています(30−31節)。「二人の人」は復活(24章4節)と昇天(使徒言行録1章10節)の場面でも使われる用語ですから、ルカは変容を死・復活・昇天と密接に結びつく出来事と捉えています。「最期」と訳された語は「エクソドス」(出発・旅立ち)です。イエスは死へと旅立ちますが、それは栄光への旅立ちです。

 弟子の無理解(32−33節)
 弟子たちはそのとき、睡魔に襲われました。この睡魔が弟子たちの心の目を閉ざし、イエスのエクソドスについての会話を聞きもらしてしまいます(32節)。
 ですから、モーセとエリヤが離れ去ろうとしたとき、ペトロは「仮小屋(直訳 幕屋)を三つ建てましょう」と提案します。彼は幕屋を造ることによって、栄光に輝く三人を地上に留めようとしたのです。ペトロは目に見える栄光にとらわれ、エルサレムでのエクソドスに目を向けようとはしません。彼は、自分でも何を言っているのか、「分からなかった」人でした(33節)。

 神の声(34−35節)
 ペトロの誤りを正すために、神が雲の中から答えます(35節)。イエスは確かに「私の子(=神の子)」ですから、栄光に輝くのは当然です。しかし、同時に「選ばれた者」として、神から使命を帯びています。「選ばれた者」は、苦しむ神の僕の一節(イザヤ書42章1節)からの言葉です。その上モーセはイエスの旅立ちをエクソドスという言葉で語ります。この語は旧約聖書のギリシア語訳で常に出エジプトを指します。出エジプト、それは苦役にうめき苦しむイスラエルの叫びが神に届いて彼らを顧みたその具体的現れとして救いでした(出エジプト記2章23−25節、3章7節、6章5節、申命記26章7節)。
 同じように、イエスの「選ばれた者」としての使命はエルサレムでのエクソドスを通過せずには、実現されません。弟子たちはここに留まって幕屋を造ろうとはせずに、イエスに聞き従い、その後について行くようにと教えます(35節 これに聞け。)。

 弟子の沈黙(36節)
 雲からの声とともに、モーセとエリヤは姿を消し、「イエスだけがおられた」とルカは書きます。弟子たちはこのイエスに聞くべきです。エクソドス、栄光と十字架が矛盾ではなく、それが神の道なのだ、と知るためにはイエスに聞かねばなりません。マルコ版のイエスの沈黙命令(9章9節)の代わりに、ルカ版では弟子たち自ら沈黙をします。沈黙はイエスの変容と神の声に対する弟子たちの「恐れ」(34節)から生じています。

 今日の福音のまとめ
 イエスの受難は、弟子たちには「怖い」(45節)と映っていました。しかし、十字架を通過するイエスの「エクソドス」は惨めな死で終わる「最期」なのではなく、父のもとへと帰る「旅立ち」なのです。だから、イエスが弟子の前で栄光に輝いたのは、復活・昇天を先取りして示すためであり、イエスの本質「これは私の愛する子 35節」を表すためなのです。
 ルカはマルコ・マタイよりもイエスのひととなりに集中し、内面性を描写します。イエスの内面性は父との親しい語らいである祈りによって表され(3章21節、5章16節、6章12節)、今日の福音でもイエスは祈るうちに別の人のようになり、着物は白くなって、稲妻のように輝き出します(原語の意味)。
 「エクソドス」は「出エジプト」をも意味します。出エジプト―エジプトでの奴隷状態からの解放を求めるイスラエルの叫びは聞き入れられ、カナンの地が与えられました。同じように、イエスの祈りも神に聞き入れられます。栄光に輝くイエスの姿(=復活・昇天の姿)に私たちの救いが約束されています。
 イエスは白く輝く中で、イエスは死を通して栄光へと向かう「エクソドス」について、旧約を代表する「二人の人」と語らいます。イエスは弟子たちをこの出来事に立ち会わせ、これを見せることによって、彼らもイエスの内面性(イエスの祈り)に参与させるのです。
2022年3月13日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教