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マリアは良い方を選んだ
―年間第16主日C年

ヨハネ・ボスコ 林 大樹

  ルカによる福音10章38−42節

 イエスを迎え入れるマルタ
  (38節)

 イエスとその一行は、旅の途中である村に入ります。この旅とは9章51節から始まったエルサレムに向けての旅を指しています。
 新共同訳では「すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた」と訳されていますが、ここで「すると」と訳されている単語は「だがしかし」の意味に取ることも可能です。当時のユダヤ人社会では、男性が親族以外の女性と一対一で接したり、女性が男性を家に迎え入れてもてなしたりすることは普通のことではありませんでした。イエスを迎えたのが習慣に反して女性であったことへの注目が、この「だがしかし」に込められているのかも知れません。
 また、イエスは女性に教えています。ラビは女性が「主の足もとに座る」こと(39節)、つまり弟子になることを許しはしませんでした。イエスは女性が弟子たちの仲間に加わることを、問題視していません(8章1−3節)。
 こうして、イエスの到来によって、ユダヤ人と異邦人の垣根がはずされたばかりではなく(先週の福音「善いサマリア人のたとえ」)、男性と女性の間の差別も取り除かれ、すべての人が平等に永遠の命(先週の福音「善いサマリア人のたとえ」の律法学者の質問「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」10章25節)への道に招かれています。

 マリアは良い方を選んだ
  (39−42節)

 マルタにはマリアという姉妹がいましたが、二人は対照的な態度でイエスに接します。「マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた」(39節)とありますが、「足もとに座る」のは、権威ある師の教えに耳を傾ける弟子の姿勢を表します。
 それに対して、マルタはイエスをもてなすために「せわしく立ち働いて」います(40節)。「せわしく立ち働く」と訳された動詞「ペリスパオー」の原義は「周りから引かれる」ことであり、そこから「あるべき場所から引き離され、そこへと注意がそらされている」といった悪い意味合いがあります。マルタは中心であるイエスから離れ、いろいろなもてなしに注意を奪われ、心を悩ませています。やがて彼女は、自分にだけもてなしの準備をさせるマリアに我慢ができず、イエスのもとに近づいて「手伝ってくれるようにおっしゃってください」(40節)と頼みます。マルタの不満はマリアに向けられています。
 ここで「手伝う」と訳される語は「ある者の側に加わる=味方する」も意味します。マルタは、マリアもイエスのそばを離れて自分の側に加わり、もてなしの準備を手伝うべきだと考えたのです。
 イエスはそんなマルタに親しみを込めて「マルタ、マルタ」と語りかけ、「多くのことに思い悩み、心を乱している」と指摘します(41節)。「思い悩む」の原義は「心を用いる」ですが、本当に大切でないことに心を用いるなら、それは実りをもたらしません。心を用いるべき大切なことは「ただ一つ」(42節)、中心にいるイエスの足もとに座り、心をイエスの言葉へと向けることです。イエスはマルタに言います。「マリアは良い方を選んだ」(42節)と。マリアはマルタと違った方法で、よりふさわしくもてなしています。

 今日の福音のまとめ
 今日の福音は、先週の福音「善いサマリア人」のたとえ(ルカ10章25−37節)の後に続く話です。先週の福音で、永遠の命を受け継ぐためには、「神を愛する」ことと「隣人を愛する」ことが必要であると教えたイエスは、「善いサマリア人」のたとえを通して、隣人への愛を具体的に説明しましたが、「神を愛する」ことについてはまったく触れられていませんでした。しかし「マルタとマリア」が登場する今日の福音では、神を愛するということは、神の言葉に耳を傾ける(=祈る)ことと教えています。
 今日の福音では二人の女性の在り方が比較されています。マルタはイエスをもてなしています。それに対して、マリアはイエスの足もとで話に聞き入っています。マルタは次第に心の中に苛立ちを覚えるようになります。とうとうマルタは我慢できなくなり、イエスに向かい「マリアに仕事を手伝うように注意してください」と訴えました(40節)。
 するとイエスはマルタの意に反して、「マルタ、マルタ、必要なことはただ一つだけだ。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」とまで言われてしまうのです(42節)。おそらくマルタは心の中で「えぇっ!」と思ったことでしょう。そして、「じゃあ、私もマリアみたいにそばに座りましょう」と、奉仕を放り出すかも知れません。
 私たちにとって人々への奉仕活動は大切なことです。そして祈ること、ここではイエスのそば近くでイエスの話を聞くこと、これも大切なことです。実際私たちの生活の中でこの両方が必要なのです。ですから、マルタとマリアの二人は一人の人間にとって重要な二つの側面を表現していると言えます。その上で、この状況において「今、どちらが大切か」とイエスは問いかけておられるのです。そして、「今」はマリアのしていることがより大切だと教えておられるのです。
 先週の福音でイエスは、聖書に通じている律法学者に出会います。イエスは彼に「善いサマリア人」のたとえを話します。今日の福音でイエスは、奉仕に忙しくて、神の言葉を聞かないマルタに迎え入れられます。イエスは彼女に「マリアは良い方を選んだ」と話します。イエスは、律法学者には「行って、奉仕しなさい」と言います。マルタには「座って、聞き、祈るように」と言います。「、あなたにはどちらか大切ですか」とイエスは問いかけます。
22022年7月17日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ