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復活体験
―復活したイエスとの
新しい出会いの体験―

主任司祭 ヨハネ・ボスコ 林 大樹


 イエスの十字架のとき怖くて逃げた弟子たちは、復活体験の後、イエスに命をささげる者として生きかたが変わっていきます。なぜ弟子たちは変わったのでしょうか? 結論から言うと、復活したイエスと新たに出会ったからです。弟子たちは、復活したイエスとの新しい出会いの体験によって、イエスが本当に自分のことを愛してくださったということを知ったのです。そして、愛されたことを知った者は、愛する者へと変えられていきます。復活体験は「復活したイエスとの新しい出会いの体験」と言って良いでしょう。
 イエスに「三度わたしのことを知らないと言うだろう」(マルコ14章30節)と離反を予告されたペトロは、「あなたのことを知らないなどとは決して申しません」(マルコ14章31節)と力を込めて言い張ります。そのペトロが、イエスの予告どおり、三度否みます。ルカ福音書では、ペトロがイエスを三度否んで鶏が鳴いたとき、「主は振り向いてペトロを見つめられた」(ルカ22章61節)と伝えられています。イエスはどのような目でペトロを見つめられたのでしょうか? ペトロは激しく泣きます(ルカ22章62節)。三度否んだペトロに、復活したイエスは、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」(ヨハネ21章15−17節)と、三度言われます。ペトロはこのとき、復活したイエスと新たに出会います。ペトロは、イエスに赦され、愛されたことを知ったのです。
 十二使徒の一人でディディモと呼ばれるトマスは、「わたしたちは主を見た」(ヨハネ20章25節)と言うほかの弟子たちに言います。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」(ヨハネ20章25節)。八日後、復活したイエスはトマスに言います。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20章27節)。トマスが復活したイエスと新しく出会った場面です。トマスは答えて言います。「わたしの主、わたしの神よ」(ヨハネ20章28節)。信じない者から信じる者へと変わったトマスの信仰告白です。
 エルサレムからエマオという村に向かって歩いていた二人の弟子は、復活したイエスと一緒に歩き始めます。しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分かりません(ルカ24章13−16節)。目指す村に近づき、イエスは二人の弟子と共に泊まるため家に入られます。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになりました。すると、二人の目が開け、イエスだと分かりましたが、その姿は見えなくなりました(ルカ24章28−31節)。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と復活したイエスとの新しい出会いの体験を語り合います(ルカ24章32節)。そして、イエスの姿を肉眼では見えなくなっても、二人は、「道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった」と、復活体験を証言する者に変わっていきます(ルカ24章35節)。
 復活体験は「復活したイエスとの新しい出会いの体験」です。このように考えますと、信徒の皆さんにも今までそのような霊的な体験があったと思います。またこれからも「大きい」「小さい」がありますが、霊的な体験をすることでしょう。そのときキリスト者として目が開かれ、もっと愛する者へ、もっと信じる者へ、もっと証しする者へ、と変えられていきます。多くの復活体験がありますように。「復活祭、おめでとうございます」。