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パンを裂くと、
彼らはイエスだと分かった
―復活節第3主日A年

ヨハネ・ボスコ 林 大樹


  ルカによる福音
   24章13−35節


 今日の福音の構成―
  ルカに多く見られる
   交錯配列法

 対応表現法の一つに、交錯配列法(こうさくはいれつほう)があります。この配列法は元来、ヘブライ詩文、あるいはセム語系の文の特徴とされるもので、ルカにおいても多く見られる配列法で、例えば文章の構造がABC(C)(B)(A)というように、中心句または中心テーマを中心にして左右または上下の各部がそれぞれ互いに対応するように配列されたものです。このような場合、要(かなめ)となる中心部分は、内容的にもたびたび、そのように配列された文全体の中心になっています。

イ 13節 二人はエルサレムからエマオへ向かって歩きながら
 (イ)33節 二人は……エルサレムに戻ってみると

ロ 14節 二人は話し合った
 (ロ)32節 二人は語り合った

ハ 15節 イエス自身が近づき二人と一緒に歩き始めた
 (ハ)31節b イエスの姿が見えなくなった

ニ 16節 二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった
 (ニ)31節a 二人の目が開け、イエスだと分かった

ホ 17−18節 イエスと二人の弟子の応答
 (ホ)28−30節 イエスと二人の弟子の応答

へ 19節 ナザレのイエスのこと
 (へ)27節 イエス自身についてのこと

ト 19節 イエスは力のある預言者
 (ト)27節 モーセとすべての預言者から始めて

チ 20節 祭司長たちや議員たちは、死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまった
 (チ)26節 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか

リ 21節a 私たちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました
 (リ)25節 預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち

ヌ 22節 仲間の婦人たちが墓へ行きました
 (ヌ)24節a 仲間の者が何人か墓へ行きました

ル 23節a 遺体を見つけずに戻って来ました
 (ル)24節b 婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした

ヲ 23節b 天使たちを見ました(直訳)
 (ヲ)24節c イエスを見ませんでした(直訳)

23節c 「イエスは生きておられる」

 以上の交錯配列法イロハニホヘトチリヌルヲ(ヲ)(ル)(ヌ)(リ)(チ)(ト)(へ)(ホ)(ニ)(ハ)(ロ)(イ)の中心は「イエスは生きておられる」であり、内容的にもこれが中心です。このような構成ですから、「生きておられるイエス」と出会う場はどこかということが全体のテーマとなっています。
 
 「生きておられるイエス」と出会う場
 イエスが聖書を説明したとき、二人の弟子の心は燃え、パンを裂いたとき、彼らの目が開かれました(30−32節)。婦人たちから報告を受けた弟子たちはまず墓に向かいましたが(24節)、そこではイエスと出会うことができませんでした。墓は死者が住む場所ですから、「生きておられるイエス」を墓に捜しても無駄なことです。
 今日の福音の結びで、エルサレムに戻った二人の弟子が報告した事は、「道で起こったこと(復活したイエスが現れ、二人の弟子と共に歩き、二人の弟子に聖書の説明をしたこと)」と「パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった」ことでした(35節)。
 パンを裂くために集まった場所で、パンが裂かれるとき、常にイエスはそこにおられます。確かに姿は普通の目から見えなくなっています。しかし、パンの中におられます。そのために私たちは開かれた目で聖書を読み、パンを裂くために集まります。

 今日の福音のまとめ
 今日の福音は、復活の日、エマオへ行く二人の弟子にイエスが現れ、道を共にしながら、彼らに聖書を説き明かして、パンを裂いて、信仰に導かれたという、有名な出来事です。
 使徒たちの共同体から離れていく弟子、イエスにかけていた希望がすっかり裏切られて悲しみに沈んでいた弟子が、見知らぬ人の姿でイエスの現れを受け、聖書の説明とパン裂きによってイエスに対する真の信仰に至ったとき、もう一度教会共同体の中へ戻って行く、という筋(すじ)です。これは不信仰だった人々が、どのようにしてイエスへの信仰に導かれるのかという説明になっています。
 ルカによると、それには復活したイエスの働きが欠かせないもので、イエスはまず「近づき」「一緒に歩き」「問いかけ」「語り」「説明し」「家に入り、食事の席に着き、パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて渡します」。そして弟子がイエスだと分かると、「見えなくなります」。物語は、イエスが「近づいた」ときに始まり、イエスが「語る」とき、悲しみから喜びへ、冷やかさから愛の炎へと変わり、そして「見えなく」なるとき完結します。
 ルカにとって、宣教も、復活したイエスが送る聖霊を受けて、弟子がイエスを証しすることに他ありません。つまり、ルカにとって、教会とは、復活したイエスの働く場、教会の中にある一切―聖書理解、証し、回心、喜び、賛美など―は復活したイエスの賜物なのです。
 このように、イエスの働きが目立っていますが、同時にイエスに向かって「一緒にお泊りください」(29節)と言って引き止めた弟子たちの祈りも非常に印象的です。聖書に耳を傾け、裂かれたパンに十字架のイエスを思うとき、私たちもイエスに出会うことができます。
2023年4月23日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教

※ 注(Web担当者より)
●本文序盤の「イ ロ ハ……」の部分は、原文(Wordファイル)では四角で囲まれ、左半分に今日の福音の前半が、右半分に後半が逆順で書かれていますが、これはスマートフォンでは読みにくい上、Web上で四角で囲むのは難しいので、四角で囲まない通常の形にさせていただき、逆順で書かれている後半部分は斜字(イタリック)にさせていただきました。
また、本文中で太字になっている部分は、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、太字で代用させていただきました。ご容赦を。
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