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わたしは
天と地の一切の権能を
授かっている
―主の昇天A年

ヨハネ・ボスコ 林 大樹


 第一朗読:
  使徒言行録1章1−11節

 1 物語の新たな展開(1−2節)
 ルカ福音書を「第一巻」とし、使徒言行録をその続編として著したルカは、両文書をテオフィロという人物にささげています。ルカ福音書はエルサレムで復活するまでのイエスの働きを描き、使徒言行録はエルサレムからローマへと広がる福音宣教の様子を語ります。
 第一朗読では、1−2節の「はしがき」の後に、復活して弟子に顕現したイエスが行った「聖霊の約束」(3−5節)と、イエスの「昇天」の模様が描かれています(6−11節)。「聖霊の約束」と「昇天」はルカ福音書の結び24章36−53節にも書かれており、重なっています。古代の文章作法では、二巻目の冒頭には一巻目の内容を繰り返し、二巻目の橋渡しにするのが普通でした。ですから、使徒言行録1章1−11節を一つの段落として、ルカ福音書24章36−53節を繰り返すことによって、物語の新たな展開のための助走となっています。

 2 父の約束されたものを待ちなさい
   (3−5節)

 今日の福音(マタイ福音書)で復活したイエスが弟子たちに顕現したのは、ガリラヤの山です。ルカは弟子たちに顕現したのは、エルサレムであったとしていますから、そこには何か意図があります。それを解くのは、ルカ24章47−48節「…エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる」と述べるイエスの指示です。ルカにとって、神の国を宣べ伝えたキリストの働きは、弟子たちによって受け継がれ、「地の果てに至るまで」伝えられてゆきますが、その使命をキリストから引き継ぐ場所はエルサレムだからです。
 弟子たちはエルサレムを離れずに、しばらく留まらねばなりませんが、それは「父の約束されたもの」、すなわち「聖霊による洗礼」を間もなく受けることになるからです。聖霊は、人を造り変え、使命にふさわしい者にする力です。

 3 白い服を着た二人の人
   (6−11節)

 聖霊による洗礼が間近だと聞いた弟子たちが「イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねると(6節)、イエスは「時や時期はあなたがたの知るところではない」と述べ(7節)、さらに「聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてエルサレムばかりでなく、…地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と答えます(8節)。聖霊が降るのは、証人となる力を受けるためであり、地の果てまで福音を伝えるためです。 
 弟子たちは「イスラエル」という空間に固執し、「この時」という時間に縛られています。しかし、イエスの神の国は「イスラエル」という空間を越えて「地の果て」にまで広がるし、神の国が実現する「時や時期」は、弟子たちの把握を超えた、神の遠大な計画の中にあると教えます。弟子たちに求められているのは、神の国の完成について詮索(せんさく)することではなく、証しの実行なのです。
 イエスが上げられていった天を見つめていた弟子たちに「白い服を着た二人の人」が現れ、「なぜ天を見上げて立っているのか」と語りかけ、「イエスは…またおいでになる」と戒めます。イエスの再臨は約束された確かなことです。だから、天を見上げて立ち止まるのではなく、与えられた使命の遂行に力を注ぐべきなのです。

 福音朗読:
  マタイ28章16−20節

 1 いつもあなたがたと共にいる
 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」という約束(20節b)は、インマヌエル預言(マタイ1章23節b)の成就です。旧約聖書では、神はその民と共にそのただ中にいました。それはイスラエルの選びとその救いの徴(しるし)でした。その神の現存が今やイエスにおいて恒常的に実現します。イエスの現存が、彼の命令を実行する教会に約束されるのです
 2 わたしは天と地の一切の権能を授かっている
 へりくだり、苦難を受けたイエスは、今や父なる神から、「天」と「地」、つまり宇宙全体の支配権を授与された支配者、審判者なのです
 3 弟子にしなさい
 19−20節は、イエスが弟子に託した使命が語られていますが、これは宇宙の隅々にまで及ぶ権力を与えられたイエスが、いつも共にいると約束しながら説いた指示です。19−20節の主動詞は「弟子にしなさい」であり、「行って」と「授け」と「教えなさい」は分詞形で書かれています。復活したイエスは、弟子たちにすべての民のもとに行って人々を「弟子にしなさい」と命じますが、それは「父と子と聖霊の名によって洗礼を授ける」こと、そしてイエスが「命じたすべてを守ることを教える」ことによって具体化されます
 4 あなたがたに命じておいたことを
   すべて守るように教えなさい

 「すべて」ということは、イエスの教えと、教会の教えが同一性・連続性を保っているとの確認を意味します。11人の弟子たちは教えが与えられたのみならず、その教えを全世界の民に伝達すべく主イエスから委託されます。主イエスから受けた権威と教えに基づいて教会は宣教し、教えるのです

 今日の朗読のまとめ
 イエスは天に昇りましたが、私たちと別れるためではありません。父のもとに昇ることによって、聖霊をあまねく派遣することが可能になるからです。そして「一切の権能を授かっている」方として、私たち(教会)と「共にいて」、すべての民を「弟子にする」ための力を私たち(教会)に与えてくださいます。昇天によって、天と地は一層固く結合したのです。
2023年5月21日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教

※ 注(Web担当者より)
●斜字(イタリック)になっている小見出しは、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、斜字で代用させていただきました。ご容赦を。
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