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体を殺す者どもを
恐れるな
―年間第12主日A年

ヨハネ・ボスコ 林 大樹


  マタイ10章26−33節

 第一段落:恐れてはならない(26節)
 「恐れてはならない」の直訳は「ない 恐れなさい」です。ここに使われた命令の形は、これから行為を始めるようにと命じるときの命令法ですから「恐れ始めなさい」を意味します。その前に「ない」という否定詞が置かれていますから、「恐れ始めるな」つまりまだ始められてはいない行為を一般的に禁止する言い方になります。ですから、未来に起こるかもしれない恐れを否定して、「恐れてはならない」とイエスは命じたことになります。
 イエスは「人々を恐れてはならない」と禁止していますが、この「人々」はマタイ10章17節で「人々を警戒しなさい」と言われる「人々」であり、弟子たちを地方法院に引き渡し、会堂で鞭打つ迫害者です。弟子は迫害者を警戒すべきですが、恐れてはなりません。
 「人々」という語は今日の福音の32節と33節にも現れます。また、32節の「自分をわたし(イエス)の仲間であると言い表す者(直訳 イエスを認める者)」という表現は「信仰告白」を意味しますから、「証し」とも関連づけられています。
 今日の福音は、26節の「(迫害する)人々」と32・33節の「人々」によって囲い込まれています。人々を恐れるなら、イエスを否定する者になります(33節)。イエスへの不信仰は人々への恐れから起こるのですから、イエスはその恐れが不必要であることを明らかにします。そして、「イエスを認める者」となるようにと励まします。

 第二段落:言いなさい・言い広めなさい(27節)
 第一段落(26節)では「恐れ始めるな(直訳)」とあり、未来に起こる恐れを禁じ、第三段落(28節)では「恐れるな」とあって、現在の恐れを禁じています。二つの「恐れるな」に挟まれた第二段落(27節)では、恐れずに行うべきことが命じられます。それは「言いなさい・言い広めなさい」ということです。
 この節を並行箇所であるルカ12章3節と比較するとマタイの主張がはっきりします。ルカ12章3節では、「だから、あなたがた(弟子たち)が暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の間で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる」と述べられています。
第一に異なる点は、マタイでは暗闇で言う者は「わたし(イエス)」ですが、ルカでは「あなたがた(弟子たち)」です。第二に、マタイは「言いなさい」「言い広めなさい」と弟子たちに命じていますが、ルカは「あなたがたが言った」「言い広められる」と直接法で述べています。ですからルカ12章3節は、弟子たちが告げている福音は、今は力のないものでも、終わりの日にはその正しさが明らかにされる、という意味になります。ルカの視点は未来にあります。
 しかし、マタイの視点は現在にあります。イエスが「暗闇で」、つまり弟子たちに個人的に語ったことを、弟子たちは今「明るみで」言い始めなければなりません。「言いなさい・言い広めなさい」は行為の開始を強調する命令形です。マタイは、迫害者となる「人々」を恐れず、イエスの語ったことを告げるという活動を開始するように求めています。

 第三段落:体を殺す者どもを恐れるな(28−31節)
 28・31節の「恐れるな」という命令形は、現在の恐れを禁じています。弟子たちは「体を殺す者」を恐れるのを止めねばなりません。「体を殺す者」は「魂を殺すことのできない者」です。弟子が恐れねばならないのは、「魂も体も滅ぼすことのできる神」です(28節)。
 命を支配するのは神だけです。一羽では売り物にならない雀でさえもその命は神の許しなしには奪われることがありません。神が雀を守るなら、まして弟子は神の配慮からもれることはありえません(29−31節)。

 第四段落:天の父の前で(32−33節)
 第二段落(27節)の中心は「言いなさい・言い広めなさい」にあります。イエスは、第一段落(26節)では未来の恐れを否定し、第三段落(28−31節)では現在の恐れを神が配慮することを告げて、第二段落(27節)の命令を支えています。
 イエスの弟子が宣教を開始するなら、人々は迫害者となって迫って来ます。しかしイエスは恐れずに「信仰告白」をすることを求めます。イエスのことばに従うなら、弟子は「人々の前で」イエスを認めます(直訳)。そして、イエスはその者を「天の父の前で」認めます。
 すなわち、師であるイエスでさえも受難・十字架を受けなければならなかったのだから、神が弟子たちの苦しみをすべて無くしてしまうということはないとしても、今、イエスの福音を告げ始める者は、終わりの日に「天の父の前で」認められるという祝福が約束されています。しかし、今、イエスの福音を告げないなら、その人は天の父の前で否定されます。

 今日の福音のまとめ
 今日の福音は、来たるべき迫害についての警告の言葉に、恐れることなく「信仰告白」をするようにと励ます発言が付け加えられています。イエスこそまさに弟子たちを派遣した方であり、弟子はその師にまさって処遇されることは期待できないのだから、それだから弟子は、迫害者に対して当然起こってくる恐れを超越しなければならないし、福音を宣教する者としての召し出しに忠実でなければならないのです。だから、ここでいう「信仰告白」は、必ずしも人々の前で言う言葉だけではなく、その人の生活全体によって示される従順のことです。今日の福音は、信仰ゆえの迫害はむしろ福音が真実であるという確信を与えることを教えます。イエスは公的な、また全的な従順を私たちに求めるのです。
2023年6月25日(日)
鍛冶ヶ谷教会 説教

※ 注(Web担当者より)
●本文で斜字(イタリック)になっている部分は、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、斜字で代用させていただきました。ご容赦を。
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