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イエスの顔は
太陽のように輝いた
―主の変容A年
ヨハネ・ボスコ 林 大樹
マタイによる福音書
17章1−9節
高い山に登る(1節)
山は神が顕現する場所です。イエスは、モーセがアロン、ナダブ、アビフを伴ってシナイ山に登り(出エジプト記24章1節)、神と契約を交わしたように、三人の弟子を伴って高い山に登ります。イエスの変容を目撃したこの三人の弟子と、ゲッセネマの園でイエスの近くにいた三人(マタイ26章37節)とは同じ人物です。このことは、イエスの変容とイエスの十字架上の死との密接な関係を暗示しています。
変容(2−6節)
「顔は太陽のように輝いた」(2節)はマタイだけが記しています。この輝きは、「光のように白くなった」(2節)服の輝きとともに、復活のからだ、昇天して神の右の座に着座するときの栄光の姿(黙示録1章14節・16節)を示しています。
マタイ福音書は、旧約聖書を「律法と預言者」(マタイ7章12節)の書と表現しています。モーセは律法、エリヤは預言者の代表です。神の栄光に輝くイエスがモーセとエリヤと語り合う(3節)のを見たペトロは三つの仮小屋をここに建てようと言います(4節)。
「光輝く雲」は神の臨在の象徴です(出エジプト記13章21節・22節、34章5節、40章34節、列王記上8章10節・11節、歴代誌下5章13節・14節)。したがって、この雲の中の声は神の声です。神は弟子たちに「これ(イエス)に聞け」(5節)と告げます。弟子が聞くべき人は、モーセでもエリヤでもなく、イエスです。イエスは、旧約聖書を代表するモーセやエリヤと対等なのではなく、旧約聖書を成就するメシアなのです。
弟子たちは神の声を聞いて、ひれ伏し、非常に恐れたのは(6節)、神の臨在に触れ、神の声を聞くときの人間の正直な姿です。
近づき、手を触れ、
起き上がらせるイエス(7−8節)
三人の弟子は、顔を伏せ栄光の姿のイエスを拝みますが(6節)、イエスは「近づき」、彼らの「手を触れます」(7節)。その手は、病人をいやし(マタイ8章3節)、盲人の目を開け(マタイ9章29−30節)、死人さえも起き上がらせる(マタイ9章25節)、主の手です。新しい命(新しい生き方)を与える主、生ける「(神の)愛する子」(5節)の手と言えます。
イエスは命の主として三人の弟子に「近づき」、「手を触れ」、「起きなさい」(直訳 起き上がりなさい。この語は、復活を示すために用いられる動作)」。こうして、主の変容の出来事は、三人の弟子に復活のイエスを証言させ、信仰を強め、希望を与えるのです。
山を下る(9節)
イエスに励まされた弟子たちは山を下り、日常へと帰ります。イエスは確かに栄光に輝く神の愛する子ですが、それは十字架上の死を経た後、復活のときに明らかになります。それまでは沈黙しなければなりません。しかし、イエスが復活・昇天して教会の宣教の時代に入れば、この出来事を積極的に述べることが期待されているのです。
今日の福音のまとめ
ペトロが「あなたはメシア、生きる神の子です」(マタイ16章16節)と信仰告白した後、イエスは初めて弟子たちに自分の死と復活を予告します(16章21節)。ペトロは、イエスが「苦しみを受けて殺される」ことがあってはならないと思い、イエスをわきに連れていさめ始めます(16章22節)。このようなペトロに対して、イエスは「サタン、引き下がれ」と言います(16章23節)。マタイの記述のポイントは、ペトロの信仰告白に対しての天の父よりの確認として、また、イエスの十字架上の死・復活・来臨の先取りとして、福音書の受難物語の前に、「主の変容」を位置づける点にあります。
イエスは、十字架上のイエスに惨めな死しか見えない弟子たちに、「顔が太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(2節)栄光の姿(復活の姿)を見せます。このように、変容という出来事は十字架上の死を経た後に待っている栄光(復活)を見せることによって、弟子たちを励まし、彼らに十字架上の死の意味を教える出来事なのです。
ある神父さまが次のように述べています。
「今日8月6日は、ヒロシマの原爆の日です。…イエスを包んだ天来の変容の光は、一見、全く無関係のようですが、あの日、一瞬にして無数の人々の上に、あの残酷の死をもたらしたピカの光を想い起こさせます。変容の山でイエスを包んだ光は、十字架のイエスを照らし出す光です。…戦後の苦難に満ちた復興への努力によって、広島の街は驚異的な変貌を遂げました。けれども、人間の努力によって成し遂げられたそのような変貌は、あの日、無数の人々の尊い命と引き換えに、この私たちの世界にもたらされた、一瞬の、神からの変容の光を隠しつつあります」。
(今日のみことば 真正会館聖書センター 年間18土曜日 8月6日号 2011年7月31日発行 23ページ)。
イエスを包んだ変容の光は、十字架上の死・復活・来臨の先取りの光であり、私たちの世界の変容を照らす光です。戦争による無数の人々の尊い命の犠牲によって(イエスの十字架上の死につながっています)、戦後の復興や平和(復活につながっています)があったことを私たちが忘れてしまったならば、変容の光を覆い隠すことになります。
今日は、広島をはじめ日本各地で、原爆投下で天に召された人々を思い起こしつつ、核のない、戦争のない、平和な世界の実現を願って多くの人々が祈りをささげています。私たちもこの世界の真の変容を願い、ミサの中で祈りをささげましょう。
2023年8月6日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教
※ 注(Web担当者より)
●本文後半で太字になっている部分は、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、太字で代用させていただきました。ご容赦を。
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