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あなたはペトロ。
わたしはあなたに
天の国の鍵を授ける
―年間第21主日A年
ヨハネ・ボスコ 林 大樹
マタイによる福音
16章13−20節
マルコ福音書との比較
マルコ8章27節→「イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、『人々は、わたしのことを何者だと言っているか』と言われた」。
マタイ16章13節→「イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、『人々は、人の子のことを何者だと言っているか』とお尋ねになった」。
違いは三つあります。
(1) 13節は一つの文章ですが、マルコ8章27節は二つの文章からできています。
(2) 「弟子たちと」と「方々の村に」という表現がマタイにはありません。
(3) マルコでは、イエスは「わたしのことを何者だと言っているか」と尋ねていますが、マタイでは、「人の子のことを何者だと言っているか」と尋ねています。
これら三つの点から言えることは、マタイではマルコよりもイエスに集中しているということです。イエスに集中するために、「弟子たちと」と「方々の村に」という表現を省いて、一つの文章にしています。
しかもマルコ福音書では、イエスの自称は「わたし」ですが、マタイでは「人の子」が用いられています。「人の子」という呼び名は、旧約聖書では「(弱くはかない)人間存在」(詩編8)を表しますが、黙示文学では「終わりの日に雲に乗って現れる天からの特別な存在」を表します。マタイは黙示文学の意味で「人の子」を用い、「イエスは人の子」であると同時に「天からの特別な人物」であることを強調しています。
しかし、イエスは黙示文学での世俗的な勝利者としての「人の子」ではなく、この世から一旦捨てられ、殺された後に栄光を受け、人々を救う「人の子」です。このようにイエスに集中することによって、イエスが誰であるかを一層はっきり主張しています。
第一段落:あなたはキリスト、
生ける神の子です(13−16節)
ヘロデ大王の子フィリポの名と、ローマ皇帝に敬意を表す「皇帝の(カイサリア)」の町という名を付けられたフィリポ・カイサリアには、異教の神や皇帝を神格化して礼拝する神殿がありました。この町で、イエスが誰であるかが問われます。人々はイエスを「洗礼者ヨハネ」「エリヤ」「エレミヤ」「預言者の一人」と見ていますが、ペトロは弟子を代表して、イエスを「あなたはキリスト(=メシア)、生ける神の子」ですと告白をします。
(今日の福音の)第一のポイントは、イエスは二つの尊称「キリスト」「生ける神の子」と呼ばれていることです。「キリストです」という告白文は、共観福音書に共通して見られますが、「生ける神の子」はマタイ固有で、イエスをそのように呼ぶことは、イエスが「父である神を現す存在」と告白することを意味しています(マタイ11章27節)。
第二段落:
天の国の鍵(17−19節)
イエスを「生ける神の子」と告白する信仰は、「人間ではなく、神が現した」ものです。神からの呼びかけに対する人間の応答が信仰告白であり、そのように応答するペトロは「幸いだ」と祝福されます。
第二のポイントは、ペトロと教会です。イエスの「父」である神が、イエスが神の子であることを現しました。それに対して、イエスは「私も言っておく」と述べて、シモンをペトロと呼び、さらに「この岩の上にわたしの教会を建てる」と約束します(17−18節)。
神の呼びかけに応答した者を教会の礎として、イエスは「わたしの教会(エクレシア)」を建てます。「エクレシア」というギリシア語の背景には「エダー」というヘブライ語があり、それは「ヤアド(名指しで呼ぶ)」から派生した名詞です。教会とは「神の民」であり、神が名指しで呼びかけ、それに応答した者の集まりです。
第三のポイントは「天の国の鍵」と「つなぐ−解く」です。「鍵」を受けるとは、イザヤ書22章15−25節によると、宮廷への出入りを許す力で、王の家の権力を授かることです。イエスはペトロに「天の国の鍵」を与えます。「つなぐ−解く」は、ラビが用いた専門用語であり、律法に従って行われる禁止と許可、共同体への加入と追放の意味を持っています。ユダヤ教のラビたちのそのような権威に対して、16章18−19節では「わたしの教会」での権威が強調されており、ペトロこそが神からそのような権威を与えられたのです。
第三段落:
誰にも話さないように(20節)
教会は(イエスの復活まで)、今は語ることを禁じられます。それはユダヤ人が抱いていた力強い解放者としてのメシア像との誤解を避けるためです。イエスは十字架に死に、生ける神によって復活する「神の子」キリストなのです。
今日の福音のまとめ
「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」(13節)と尋ねたイエスに対してシモン・ペトロが答えた「あなたはキリスト、生ける神の子です」は、教会の完全な信仰告白です。この信仰告白は神から名指しで呼びかけられた者の応答としてイエスの祝福を受け、教会の礎となる地位と天の国の鍵の授与がペトロに約束されます(16−19節)。
イエスが建てた「わたしの教会」は、いつの時代の教会であっても、常に「あなたはキリスト、生ける神の子です」と信仰告白することによって、ペトロに結ばれ、ペトロを通して歴史のキリストに結ばれるのです。
2023年8月27日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教
※ 注(Web担当者より)
序盤で斜字(イタリック)になっている部分は、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、斜字で代用させていただきました。ご容赦を。
原文どおりのレイアウトやフォント切替でご覧になりたい場合は、お手数ですが、Wordファイルをダウンロードしてご覧いただければ有難く存じます。