隣人愛の実践
―私は自分のするべき
「隣人愛」を見つけました。
「み旨ならば」ではなく
「み旨だから」、
これは実現すると信じました―
主任司祭 ヨハネ・ボスコ 林 大樹
教皇フランシコは「イエス・キリスト、父のいつくしみのみ顔」(いつくしみの特別聖年公布の大勅書 カトリック中央協議会発行29頁)の中で、預言者イザヤと預言者ミカの下記の箇所を用いて、「隣人愛の実践」について述べています。
1.「隣人愛の実践」は難しい
−自分は弱くて
貫くことができない−
6節 わたしの選ぶ断食とはこれではないか。悪による束縛を断ち、軛(くびき)の結び目をほどいて、虐げられた人を解放し、軛をことごとく折ること。7節 更に、飢えた人にあなたのパンを裂き与え、さまよう貧しい人を家に招き入れ、裸の人に会えば衣を着せかけ、同胞に助けを惜しまないこと。8節 そうすれば、あなたの光は曙(あけぼの)のように射し出で、あなたの傷は速やかにいやされる。あなたの正義があなたを先導し、主の栄光があなたのしんがりを守る(イザヤ書58章6−8節)。
イザヤは、真の断食の一つに「隣人愛の実践」を挙げています(7節)。この7節をよく考えてみますと、最初に出会った「飢えた人」に最後の「パンを裂き与え(た)」人が、次にもっと飢えた人に出会ったとき、どうするのでしょうか。何度も「裸の人」に「衣を着せかけ(て)」いるうちに、自分の衣をすべて失ったとき、社会全体から見ればただ単に貧しい人が一人増えたに過ぎないのではないでしょうか。
このように「隣人愛の実践」は難しいことです。人間にはできることとできないことがあります。そして、してはいけないこともあります。私たちは、日常生活の中で、神から与えられた自分のするべき「隣人愛の実践」を読み取らなければいけないのです。その読み取りを間違うと全部が狂ってきます。その狂いの一つの原因は、自分は弱くて貫くことができないという自分自身に対する信頼性の崩壊です。人間は貫くことができるし、変わることもできます。ただし神の力を受けているならば、という条件つきです。
2.神のいつくしみの一貫性
−弱い人間の中に
「隣人愛」を貫く力が与えられる−
18節 あなたのような神がほかにあろうか、咎(とが)を除き、罪を赦される神が。神は御自分の嗣業(しぎょう)の民の残りの者に、いつまでも怒りを保たれることはない。神はいつくしみを喜ばれるゆえに。19節 主は再び我らを憐れみ、我らの咎を抑え、すべての罪を海の深みに投げ込まれる(ミカ書7章18−19節)。
預言者ミカは「神の怒りは発動されるが、永遠に続くことはない(18節)。神の永遠の本性はいつくしみ、憐れみである。だから、神は私たちの罪・咎(とが)を、エジプト軍に対してなしたように、海の深みに投げ込み葬り去る(19節)」と教えます。
「神のいつくしみ」は永遠に変わりません。その変わらない神は、小さな赤ちゃんで生まれるほど変わり、そして十字架上であんな死にざまをするほど変わり果てます。それほどまでに変わり果てるぐらい、「神のいつくしみ」は変わらなかったというのが「神のいつくしみ」の貫く歴史なのです。
「私は自分のするべき『隣人愛』を見つけました。『み旨ならば』ではなく『み旨だから』、これは実現すると信じました」。このような(神を全幅に信頼した)弱い人間が、神の力によってどんなに強い「隣人愛」を貫く力を与えられたでしょうか。弱い人間だからこそ、そのような弱い人間の中に変わらぬ「神のいつくしみ」の一貫性が示されるのです。
3.神と人間との交わりの歌
−神は骨(人間の支柱)に
力を与える−
9節 あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば「わたしはここにいる」といわれる。軛を負わすこと、指をさすこと、呪いのことばをはくことを、あなたの中から取り去るなら、10節 飢えている人に心を配り、苦しめられている人の願いを満たすなら、あなたの光は、闇の中に輝き出て、あなたを包む闇は、真昼のようになる。11節 主は常にあなたを導き、焼けつく地であなたの渇きをいやし、骨に力を与えてくださる。あなたは潤された園、水の涸れない(かれない)泉となる(イザヤ書58章9−11節)。
「あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば『わたしはここにいる』といわれる」(9節)とは、神と人間との交わりを歌ったものです。イザヤは、私たちが自分のするべき「隣人愛」を果たそうとするなら(難しいことですが)、人間の周りが「闇」(10節)であっても、「焼けつく地」(11節)であっても恐れることはない。神が「骨」すなわち人間の支柱に「力」を与え(11節)、人間は「輝き」(10節)また「水の涸れない泉」(11節)となる、と語るのです。
※ 注(Web担当者より)
本文中、斜字(イタリック)になっている部分は、原文(Wordファイル)ではフォントが明朝からゴシックに変更されている部分ですが、Web上でフォントを使い分けるのは難しいので、斜字で代用させていただきました。ご容赦を。
原文どおりのフォント切替でご覧になりたい場合は、お手数ですが、Wordファイルをダウンロードしてご覧いただければ有難く存じます。