印刷など用に
Wordファイル
ダウンロードしたい方は
こちら

人がわたしにつながっており、
わたしもその人に
つながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ
〜 復活節第5主日B年 〜

ヨハネ・ボスコ 林 大樹

 ヨハネによる福音
  15章1−8節


 今日の福音は、最後の晩餐の席でイエスが話した長い講話(告別説教)のほぼ中心部にある「ぶどうの木のたとえ」です。今日の福音の1−6節は「ぶどうの木のたとえ」ですが、7節以降になると、たとえとの関連が急に弱まり、むしろ告別説教とのつながりが色濃く現れています。
 要約すると、1−6節の「ぶどうの木のたとえ」は次のような構成になります。

[1−2節 父]
 私はぶどうの木 私の父は農夫である。父は実を結ばない枝を取り除く、実を結ぶものは手入れをする。
    ………………………………………
    [3−4節 私]
     あなたがたはすでに清い、私の言葉で。わたしにつながっていなさい。私につながっていなければ 実を結ぶことはできない。
    ………………………………………
[5−6節 あなたがた]
 私はぶどうの木 あなたがたは枝である。人がつながっていれば、実を結ぶ。つながっていなければ、焼かれる。

 つながっていなさい
 1−6節の「ぶどうの木のたとえ」は、1−2節は「父」の働きを述べ、5−6節は「あなたがた」の姿に視点が移りますが、その間の3−4節では「私につながっていなさい」との呼びかけが行われ、これが「ぶどうの木のたとえ」の目的になっています。「つながっていなさい」(ギリシア語 メノー)は「人が自分本来の在り方を見出したところを離れずに、そのまま留まっていなさい」という意味です。

 手入れ・清め
 旧約聖書ではイスラエルがぶどうの木にたとえられていますが、このぶどうの木は悪い実をならせてしまうぶどうの木です(イザヤ書5章1−7節、エレミヤ書2章21節、ホセア書10章1節など)。そこで、イスラエルに代わって、イエス自身が「まこと」のぶどうの木となります。このぶどうの木が実を結ぶことができるのは、農夫である父なる神が「手入れをする(直訳 清くする)」(2節)からです。
 イエスは「わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている」(3節)と言います。ここで「清く」と訳された語は2節の「手入れをする(直訳 清くする)」と訳された動詞と同じ語源です。実を結ぶように父なる神が「手入れをし(清くし)」、イエスが「清く」します。しかも、ぶどうの木であるイエスにつながる者が清くなるのは将来のことではなく、「既に清くなっている」のです。
 旧約聖書のイスラエルの失敗は農夫(父なる神)から離れ、「自分だけ」(4節)で実を結ぼうとしたからです。イエスは10節で「私が父の掟を守り、その愛に留まっているように」と述べます。「ぶどうの木」であるイエスが「農夫」である父なる神に留まっているので、イエスの話した言葉は「枝」である弟子たちを清めることができます。
 キリスト者は「ぶどうの木」であるイエスにつながっているとき、イエスの言葉が根から吸い上げた養分のように「枝」であるキリスト者を清くし、「農夫」である父なる神の手入れ(清め)の作業とあいまって、「枝」であるキリスト者は豊かな実を結びます。つまり父なる神の「手入れ」やイエスの「清め」は、キリスト者の信仰の成長、豊かな実を結ぶ者としてあるべき姿に変えられていく、ということを指しています。

 今日の福音のまとめ
 今日の福音は三人の「登場人物」が際立っています。ぶどうの木であるイエス、農夫である父なる神、そしてぶどうの枝である弟子たち(教会共同体)です。農夫はぶどうの木の手入れをします。ぶどうの木は枝を支え、枝はぶどうの木とつながっていなければ実を結ぶことができません。
 8節に「あなたがたが豊かに実を結び、わたし(イエス)の弟子となるなら、……」とあります。ここでの「実」とはイエスの弟子となることです。つまり、教会共同体の結ぶ実は、イエスが示す掟「互いに愛しなさい」を守ることにあります(12節)。しかしその実は教会共同体が独力で担おうとしても、失敗に終わります。ですから、イエスは「わたしにつながっていなさい」と繰り返し呼びかけます。イエスは「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」(7節)と言います。
 教会共同体がイエスにつながっているならば、その教会共同体が願う祈りはおのずと父なる神のみ旨に見合ったあるべきものとして変えられ(清められ)、必ず聞き届けられます。こうして教会共同体は「互いに愛し合いなさい」という実を結び、父なる神の栄光が示される教会共同体へと変えられていくのです。
2024年4月28日(日)
鍛冶ヶ谷教会 主日ミサ 説教

※ 注(Web担当者より)
●本文序盤の [ ] で囲った小見出しは、原文では文字が四角で囲まれていますが、Web上でそれは難しいので、 [ ] で囲うことで代用させていただきました。
 原文どおりのスタイルでご覧になりたい場合は、お手数ですが、Wordファイルをダウンロードしてご覧いただければ有難く存じます。