イエスさまはどこにいるの?

主任司祭 ヨハネ・ボスコ 林 大樹

 クリスマスは、イエスさまが生まれる日です。イエスさまはどこに生まれるのでしょうか? どこにいるのでしょうか?

 クリスマスの輝きと一つの影―中川 明神父の文章から
 教会のクリスマスの思い出には、光と影があります。受洗したばかりの高校生のころ、…当時、今からは想像できないほど多くの若い人が教会にいました。…クリスマスの思い出もキラキラと輝いています。当時、24日のミサは夜遅く、10時か11時に始まり、聖堂は人であふれていました。そして、そのミサの前の夕方に学生だけでパーティーをしました。ゲームをしたり、歌を歌ったり、ケーキを食べたり、とりたてて特別なことは何もなかったけれど、それでも、今思い出しても心が躍ります。…
 しかし、そんな輝きにも一つの影があります。家族でわたしだけがカトリック信者だから、夕方、わたしひとりで教会に出かけたのです。ある年、クリスマスだから、と母が腕をふるってご馳走(ごちそう)を作り、しかし、わたしは「時間だから」と食事の途中で席を立ち、教会へ出かけました。このことを母に申し訳ないとの心の痛みとともに、よく覚えています。
 「福音宣教2012年12月号 司祭館の静けさの中で」(中川 明神父著 オリエンス宗教研究所)58−59頁

 母に習ったサンマの食べ方―中学生の投稿記事から
 サンマの季節になった。天気が良かったので、自宅の庭で焼いて食べた。煙がもくもくと上がったけど、こうばしい香りが漂い、食欲をそそった。身をほじくるように食べていると、じっと見ていた母が「もったいないね。…」と言って、(母からサンマを食べるコツを教わった)。
 「そう言えば、魚の食べ方なんて、真剣(しんけん)に話したことなかったね。ごめんね」と母。最近、あまり母と話していなかったなあ。怒られたり、愚痴られたり、つまらない会話で嫌だった。でも、その日は素直に笑顔で「ありがとう」と言えた。
 「母に習ったサンマの食べ方」(荒 孝一郎君〔東京都 15歳〕朝日新聞への投稿記事)

 クリスマス・プレゼント―クリスマスの小雑誌から
 クリスマスまであと一日という日、わたしはクリスマス・プレゼントの買うために、デパートへ急ぎました。わたしがおもちゃ売り場に着くと、5歳ぐらいの男の子が人形を胸に押し付けて立っていました。男の子は、隣にいる老婦人の方を振り向いて言いました。「ねえ、おばあちゃん、本当にぼくのお小遣いじゃあ足りない?」…「さっき数えてみたでしょう。残念だけど、足りないのよ。なぜ、そんな、女の子のおもちゃにこだわるの」。それから、おばあさんは、他の用事をしてくるから5分くらいここでじっとしていなさい、と男の子に言ってその場を離れました。
 わたしは、その子に近づき、「この人形、どうするつもりだったの?」と聞きました。「これはね、ぼくの妹が気に入っていた人形なの。妹は、今年のクリスマスにこの人形をほしいと言ってた」。…「ぼくの妹はね、今、神さまと一緒にいるの。パパが、もうすぐママも神さまに会いに行ってしまうって言ってた。だからね、この人形をママに渡せば、妹に届けてくれると思うんだ」。…
 わたしは自分の財布に手をやり、お金を取り出しました。そして男の子に言いました。「もう一度だけ、調べてみようか? 本当にお金が足りないかどうか、わたしと一緒に数えてみない?」 わたしは、自分のお金をこっそり加え、数え始めました。…人形を買うのに十分なお金がありました。「よかった! ぼくね、ママのためにもプレゼントを買いたかったんだ。ママは白いバラが好きだから。…神さまは、ぼくに、人形とバラを買うためにぴったりのお金を用意してくれたみたい」。…
 帰りの電車に乗っていたとき、突然ふと、二日前の新聞記事がわたしの頭をよぎりました。その記事には、酔ったトラックの運転手が、小さな女の子とその母親を乗せた車をはねたことが書いてありました。…
 二日後、わたしは新聞で、彼の母親が亡くなったことを知りました。…告別式が行われている場所へと向かいました。女性が、棺の中で、手に一本の真っ白なバラを持ち、小さな人形を抱いて横たわっていました。わたしは涙が止まりませんでした。それからというもの、わたしのクリスマスはまるっきり変わってしまったのでした。
 「クリスマスの光」(アルド・チプリアニ発行 椿 歌子訳 ドン・ボスコ社)23−27頁 

 10年前の7月4日(金)、午後6時前、わたしの母が帰天しました。
 そのとき、わたしは母にわたしの祈りを神さまへ届けてほしいと思いました。
 でも、母はこう言うでしょう。「あなたの神さまはもうすでにあなたの心の中にいるのに、いまさらわたしが何を届ける必要があるの?」。

 鍛冶ヶ谷教会の皆さん、クリスマスおめでとうございます。