地の塩・世の光で
ありますように
ありますように
主任司祭
ルドヴィコ茨木 西村 英樹
ルドヴィコ茨木 西村 英樹
鍛冶ヶ谷教会の皆さまにご挨拶させて頂きます。この度、鍛冶ヶ谷教会の主任司祭と、お隣の幼稚園の園長を拝命しました、ルドヴィコ茨木 西村英樹と申します。2021年3月コロナ禍の中叙階の恵みを頂き、以降2年程、山手教会にて助任司祭として過ごした後、フィリピンへ一年ほど語学研修にいき、昨年度まで、沼津・三島・熱海の協力司祭として過ごしました。短い時間ではありましたが、フィリピンでは得難い経験をさせて頂いたと思っております。実際、語学習得もさることながら、教会が地の塩・世の光となって生き生きを歩んでいけるように、社会の中の教会を司牧するための糧として、留学を希望していました。上手くいったかどうかは、これからの働き如何かと思いますが、イエス様のお導きに感謝です。特にフィリピンの人々の信仰の篤さ、その熱心さに触れることが出来たのはお恵みでした。ミサ後、祝福を求める群衆に囲まれる事は度々でした。その貪欲な姿勢に、彼らが神を一番にしていること、またそれが文化として根付いているのだという事を実感させられました。神と人との結びつきに関われるという事は、司祭として大きな喜びだと思います。
フィリピンでの生活では、ヴィンセンチオ・パウロ会の神父様方に大変お世話になったのですが、わたしにとってお恵みだったのは、彼らの明るく朗らかでいつも笑顔を絶やさない姿に学ぶことが出来たことです。彼らの霊性に「謙遜」という事が挙げられると思いますが、この「謙遜」という事について、個人的に考え深めることができたと思います。私の叙階カードには「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(テサ�� 5:16〜18)でした。これは神への感謝と賛美、神を愛する具体的な方法だと思います。「謙遜さ」とは自分の為ではありません。隣人愛の為です。誰でも自分に自信を持ちますし、それはアイデンティティを支えます。しかし、イエスがそれを捨てられたように、わたしたちも自分の自信、アイデンティティを捨てて他者を敬うという姿勢が求められているように思います。
また帰国後、三島・沼津教会の信徒のみなさまと過した一年も大きな恵みでした。これからの歩みに大きな力を与えてくれるものだったと思います。
聖週間ではキリストの受難と復活を共に祝います。「イエスキリストは救い主なのだ」「この十字架の贖いによって、すべてが新たにされたのだ」という事に聖堂の十字架を見上げ思い起こします。新受洗者とともに流れる復活節の時間で、キリスト者としての生き方を私たちは新たにします。鍛冶ヶ谷教会の皆さまと週日・主日とミサを捧げる中で、天の御父の愛と、イエス様が私たちに全てを捧げて下さったのだという事を日々実感させて頂けますように。
まだまだ肩の力の抜けない新米司祭ですが、いつも全力フルスイングで教会に関わっていけるように、まい進してゆこう思っております。
