愛の掟について
主任司祭
ルドヴィコ茨木 西村 英樹
ルドヴィコ茨木 西村 英樹
このところ季節がらか、毎日のように気候の変化を感じています。雨の日が続き梅雨入りを実感したかと思ったら、あっという間に梅雨が明けカンカン照りの、真夏のような日々が続いています。
イソップ寓話の一つに『北風と太陽』という物語があります。昔から読まれ、よく知られているお話の一つです。北風と太陽が、どちらが強いか言い争い、一人の男のコートを脱がせた方が勝ちという勝負をします。北風は強い風を吹き付け男のコートをはぎ取ろうとしますが、男は益々強くコートを抑えます。太陽がサンサンと照り付けるとあまりの暑さに、男はコートどころか上着まで脱ぎ捨てます。この寓話は、厳しく強制するよりも、優しさや温かさで人を動かす方が効果的であることを教えてくれます。難しく考えるより、答えは意外と単純で近くにあるものかもしれません。
さて、ルカによる福音10章25〜37節には「善きサマリア人」の喩え話が記されています。律法学者がイエスを試そうとして「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」と質問します。イエスは質問に質問で返します「律法には何と書いてあるか。」律法学者の答えは「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」であり、それは正しい答えでした。「では、わたしの隣人とはだれですか」という問いに対してのイエスの答えです。この律法学者はイエスを試そうとしていたのですが、イエスの応対は、決して頭ごなしではなく、この人の考えを促そうとなさるものでした。
善い友を得ようとするなら、自分がその人の善い友となる行動が求められます。自分が望むことをその人にするとき、その人は私の隣人です。同様に神であるお方に、主となってい頂きたいならば、まず主が心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、私たちを愛して下さっているように、私たちも心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、神である主を愛するべきなのです。
具体的にどうすればいいのでしょうか?それは「いつも与えて下さる主に、喜びをもって感謝し、すべてのことに関わって頂けるようにどんな時も祈る」ことではないでしょうか。自分を愛せない人は「隣人を自分のように愛する」ことは出来ないでしょう。まず神が愛してくださっていることを知りましょう。私たち自身を癒して頂きましょう。洗礼の恵みによってキリストに結ばれている私たちは「神の子」なのです。しかし、この「神の子」としてのプライドにしがみつくならば、私たちは道を避けて通った祭司やレビ人と同じになってしまうのです。『友のために命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』ヨハネ15:13
時として神の子としての自己肯定感を捨てるほども「謙遜さ」が私たちには必要になるのです。
