小さな群れよ、恐れるな。
主任司祭
ルドヴィコ茨木 西村 英樹
ルドヴィコ茨木 西村 英樹
今月は、聖マリアの誕生、十字架称賛、大天使(聖ミカエル 聖ガブリエル 聖ラファエル)などの祝日があります。また今年はC年ですので年間第22〜26主日では、ルカ福音書を読みます。ルカ福音書の『神の国』に関する主要箇所が朗読されていきます。ルカ福音書は、主にギリシャ語を使う人たちに向けられて書かれていますが、ギリシャ語でバシレイア (βασιλεία)と言います。「国」には「統治」や「支配」という意味が込められています。そしてイエス様は『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。』と言われました。つまり、移動手段を使っていくことのできる「場所」としての「国」ではないく、何がその人を支配しているのか。大切にしていることは何なのか?誰に人生の舵取りを預けるのかという問題です。
わたしたちの人生を支配するものはなんでしょうか。生活の必要でしょうか?自分を大きくみせよう認められたい、必要とされたいという名誉欲でしょうか?孤独感や空しさでしょうか?それらを満たすため、或いは見ないため考えないために他の『楽しみ』でいっぱいにしようとしていないでしょうか。
また『何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。』と言われます。もし祈りに秘訣があるとするならば、またはその秘訣を問われるならば、わたしはこの箇所を勧めたいと思います。まず神に「支配の座」を明け渡すことが重要で、明け渡した後は必要をご存知の神に「信頼を置く」ということです。祈りとは「信頼」であり「明け渡す」ことなのです。
今年は、戦後80年であり大きな節目です。この夏、平和旬間として広島を訪れた方も多いのではないでしょうか。互いに尊重しあうこと、許し合うこと、感謝することはいつの時代であれ、幾つであれ変わらない人と人とを結ぶ大切なことです。何が大切な事なのか。新しい時代を担う子供たちに、普遍的(カトリック)な善い価値観を伝えていきたいものです。
歌手の吉田拓郎さんの『イメージの詩』という曲で『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』という一節がありますが、聖書には「新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。」マタイ9:17という箇所があります。新しい価値観や教えを受け止めるには、相応しい新しい器が必要だという意味です。教育現場でも、どんどんと新しい発想や新しい考え方が導入されていますが、新しさ=これまでの否定、では少し短絡的に過ぎるのではないかと思います。
現在、国と国は争い人と人とは分断を煽られています。政治家は自己保身と既得権益を広げることに躍起になっています。誰しもが自分の立場を主張することに終始し、互いに受け入れ合うこと尊重し合うことを忘れているかのようです。わたしたち人間の治める「支配」とは「国」とは実に小さく限界があります。時に人はいいます。「完全ではないから、限界があるから、成長の途中だから素晴らしいのだ」と。しかし私にはそうは思えません。「完璧」とは程遠いのみならず時として「醜悪」ですらあるのですから。
吉田拓郎の歌声は続きます。『誰かが言ってたぜ、俺は人間として自然に生きているんだと。自然に生きてるってわかるなんて、なんて不自然なんだろう』
暑かった夏も、そろそろ終わりを迎えにようとしています。長いようで短い休み期間でしたが、怪我や病気もなく、元気に過ごせていることを神に感謝したいと思います。
『小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。』(ルカ12:32)
