天正遣欧使節

主任司祭
ルドヴィコ茨木 西村 英樹

 先般、ミサの説教の中で『MAGI 天正遣欧少年使節』というドラマについて少し触れました。内容そのものは、懐疑主義に終始しておりキリスト教的でもありませんし、どちらかというと宗教的なものへの不信感と私見でもって終始していたように思います。
 しかし、この「天正遣欧使節」そのものは日本史にとってもキリシタン史にとっても重要な事柄であるのは事実ではないかなと思います。日本史にとっては、はじめてヨーロッパに日本の若者たちが訪れ、その礼儀正しさや優秀さをもってして当時の人々を驚かせたことが挙げられるでしょう。またキリシタン史としては、時の教皇様に謁見したはじめての日本人ですし、護教の為、後の宣教のために命がけで遠い異国の地へと赴いたひたむきな信仰心が、そこに現れているとみることが出来ます。また帰国後、状況は一変しており豊臣秀吉の禁教令などの弾圧下に見舞われることは、悲哀を感じ憐憫を誘います。
 よく「可愛い子には旅をさせよ」と言いますが、若者が若者らしくまだ見ぬ遠い、見知らぬ世界へと羽ばたいていく姿には、夢や希望を感じさせてくれます。若い頃は大いに憧れもしたのですが、実は旅行とか観光が大の苦手で、海外旅行なども以ての外、家が一番日本が一番と思ってしまう自分に、年を取って気が付かされます。特に心配性なところがあるというか、想像力が働いてしまうたちなので、「もし何かあっても歩いて帰れる距離ではないな」とか「最悪、泳いでってわけにもいかないほど遠いな」とかそうした余計なことを考えてしまいがちなのです。
 現在の横浜教区でも、多くの外国籍の神父様、海外からの宣教師が日本の宣教に関わってくださり力を尽くしてくださっています。信徒の皆さまの中には、影響を受けたお世話になった方々も多くいらっしゃるのではないでしょうか?実際素晴らしい優秀な神父様を送ってくださっていますし、遠い海の果てで特に難しい言語とされている日本語を学び、司祭として活動されている姿には本当に頭が下がる思いです。とても真似できないなといつも思います。私も一年程度ですが初めてフィリピンに行きました。考え方や文化、言語のまるで違う土地に放り出されるわけですが、正直全くの無力感を感じずにはおれませんでした。「言葉が通じない。」たったそれだけでも、まるで赤ん坊に戻ってしまったかのように無力です。
 確かに、あの大航海時代にあってスペインなどの植民地政策もあったでしょう。そして、当時の日本人を連れて行き実際に自分たちの文化を知らしめてやろうという思いがなかったとは言えないでしょう。しかし「キリストの十字架以外に救いはない」と信じる人々が「この真理を知らなければ救いがなく、それはキリストの死への忘恩だ」という純粋な信仰心があったのも事実ではないでしょうか。
 街はすっかりハロウィン気分ですが10月は、教会では多くの聖人を記念します。いずれもその生き方をもって、キリストの恵み、神の愛を伝えた聖なる人々です。
 同時に10月はロザリオの月でもあります。ロザリオは単に聖母マリアへの信心やとりなしを願うことに留まらず、イエスの生涯、福音を黙想するものでもあります。
 今月、祈りのうちに皆さんが大切なものを大切に、尊いものを敬う心が育まれますように。若者のような純粋な心を捧げ、諸聖人と聖母にとりなしを願ってまいりましょう。