園長のひとこと
主任司祭
ルドヴィコ茨木 西村 英樹
ルドヴィコ茨木 西村 英樹
教会も待降節に入り、わたしたちは「イエス・キリストの誕生」を記念します。わたしの恩師が中国に留学していた時のことを教えてくれました。まだ今ほど経済的に開放されていない時代の中国です。街でも大きなショッピングモールへ出かけた際、大きなクリスマスツリーを見かけたそうです。「中国でもクリスマスをお祝いするんだ」と驚き、帰りのタクシーで運転手にそのことを告げると「そりゃクリスマスのお祝いくらいするよー」と返ってきたそうです。「何のお祝いか知ってますか?」「誕生日だろうー?」「誰の誕生日か知ってますか?」「もちろん知ってるよ!」「サンタのだろ?」(笑)
誰の誕生日であれ、めでたい事には変わりないのかも知れません。
「今日僕、誕生日なんだ!」園児からいつも嬉しそうに報告されます。誕生日をお祝いすることは誰にとっても、いくつになっても嬉しいものです。その人がこの世に生まれ出たことを喜びをもって祝うのですから、それは存在を喜ぶものです。この世に生まれ出る存在は、特別で尊く、決して虚しいものではない。誕生日を祝うことは、とてもキリスト教的なことだと思います。
フィリピンのクリスマスは、少し長いようで、9月からもう街はクリスマスのイルミネーションで飾られています。フィリピン人の神父さんに「どうしてこんなに早くお祝いするんですか?」と聞くと「そりゃ待ちきれないからだろう。たぶん..」と仰ってました。お祝いは楽しみなものですよね。
人は「せっかくのクリスマスだから!誰かを傷つけよう」とは思わないものです。第一次世界大戦中、最前線で対峙していたドイツとイギリスの兵士たちが共にクリスマスを祝いました。英独の将兵たちは、両軍の戦死者の遺体を回収し合同埋葬式を行ったり、酒類、タバコ、チョコレートといった品物やサインの交換、記念写真の撮影などでクリスマスを祝いました。あくる日、両軍は再び戦場で対峙しますが、もうまともに戦える者はいなかったそうです。憎むべき敵兵が、同じ血の通った人間となってしまったからです。
クリスマスはお祝いです。おそらく世界中で祝われる最も大きな誕生イベントです。ですが、誕生を祝われる側がプレゼントをもらうのではなく、祝う側がプレゼントをねだっていい、奇妙なお祝いでもあると思います。
イエス・キリストの誕生を祝う時、皆さんが出来るお祝いは何でしょうか?どんなことをイエス様はお喜びになられるのでしょうか?どんなお祝いをしたいですか?「せっかくのクリスマス」キリスト者として相応しく、その日を待ち望みましょう。
