『根っこ』

「祈る力を育てるチーム」

 こんな話を聞きました。「根っこを枯らさなければ花は咲く。」長い年月をかけて育ててきた花は、花だけ持っていけば花は枯れてしまいます。でも、根っこが枯れなければ花は再び咲き続けます。多くの方は当然のことだと思われるでしょう。
 私たちにとって、「根っこ」と「花」とは何でしょうか? 例えが適切かどうか少し不安ですが、社会の中で「根っこ」とは、これまで長い時間失敗や試行錯誤を繰り返して培ってきた基礎技術。「花」とは、その基礎技術を使った製品。とでも言えるのではないでしょうか。
 なので、製品だけ「真似」をしてもすぐに消えて行ってしまうのではないでしょうか。目先の利益のみを考えていてはいけないということでしょうか。失敗や試行錯誤に費やした時間と労力は他者がすぐに「真似」できることではありません。もし50年間「真似」だけをした方はその50年分の「蓄積」がないということになるでしょう。またこの50年間の「蓄積」は、「信頼」につながると思います。
 私たちは神の前で何年も過ごしてきました。数年の方から数十年の方までいらっしゃいます。神を受入れ、学んできた「蓄積」は信徒一人ひとりの中にしっかり根付いていると思います。数年の蓄積や数十年の蓄積によって、代々引き継がれてきたことでもあるでしょう。
 この「蓄積」と「信頼」は「伝える」事でもあり、「時々」によって「伝え方」も変わってきました。現在は文字だけのやり取りが多く、信徒同士が面と向かって話すことが少なくなっているのではないでしょうか。
 「伝えたいことがちゃんと伝わるかな?」、「世代が異なっていてもちゃんと伝わるかな?」、「私の話し方で伝わるかな?」、「伝えたい相手の立場になって伝えているかな?」などと考えてしまいます。この辺が「根っこ」であり、「蓄積」であり「信頼」につながっていくのだと思います。
 「真似」を悪いことのように書いていますが、決して悪いわけではありません。初めてミサに与った時、周囲の方々の「真似」から入ったという経験をされた覚えがある方も多々いらっしゃると思います。そこからさまざまなことを学び「蓄積」し、入信、洗礼、堅信へとつながったのではないでしょうか。
 私達信徒の「根っこ」は神への祈りから始まっています。皆さんと一緒に「根っこ」を育て歩んでいきたいと思う今日この頃です。