イエス様は、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えられました(ルカ18-1)。「絶えず」という言葉にはいろいろな意味が含まれていると思いますが、簡単なところから始めることにします。
 たとえば、トラピスト会の修道院を訪れたとき、24時間のあいだに、修道者は皆聖堂に行って7回(3:45、5:00、8:30、11:20、13:30、17:30、19:30)祈ります。その祈りの内容は、特に聖書(詩編、預言者、福音書、聖パウロの手紙など)、教会の祈願と、その他を朗読したり唱えたりするものです。

1)イエス様は、すべての敬虔なユダヤ人と同じように、さまざまな祈りのほかに、必ず毎日2回、「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい(申命記6:4-5)」を繰り返し、自分の能力と自分のすべてのものを最大限に生かして忠実に神を愛する決意を新たにしました。このことばは、ユダヤ人の生活の核心を表すものであると言っても言いすぎではないでしょう。

2)よく知られているように、イスラーム教徒にとって、もっとも基本的な義務のひとつは「サラート」という毎日の祈りです。「サラート」は1日に5回行われます。夜明け前、正午、午後、日没、そして夜です。礼拝は集団で行うのが望ましいのですが、1日5回の祈りは、一人一人でも、清潔でさえあればどんな場所ででもできます。毎週金曜日の正午の金曜礼拝と、年に2回ある祝祭の礼拝は、集団で行わなければなりません。サラートは、イスラームの大黒柱であるとされています。人は、礼拝の行いを守っている限り敬虔なイスラーム教徒となります。
 「神は偉大なり」と唱えることによって祈りははじまります。その後コーランの色々な聖句と自分の言葉を用いてこの祈りが行われます。最もよく唱えられるのは、コーランの最初の次の意味深い言葉です。「宇宙万物の主である神に賛美。至大至高にして情け深い、慈愛に満ちた神よ」

3)古代教会の信徒の生活および教会の営みに関しての実際的な勧告が含まれている、『十二使徒の教訓』という書の存在は以前から伝えられていましたが、その写本が1873年に発見されました。およそ2世紀初め頃の作で、聖書としては認められていませんでしたが、使徒教父の文書に属する貴重なキリスト教文献とされています。それによると、信者は「主の祈り」を毎日3回唱えるように指示されています。皆様も、毎日、少なくとも2回、静かな場所と時間を作って「主の祈り」をゆっくりと唱える習慣を身につけたら、いかがでしょうか。
    
 インターネットでイスラーム教の祈りのことを調べましたら次の言葉が目に留まりました。
「人が強者の側にいることで自分も強くなったかのように感じるように、イスラーム教徒は礼拝を通して、至大至高にして慈愛に満ちたアッラー(神)に近づく機会を保つことによって自己の行為に自信を持つことができます。」
 これから「主の祈り」について、いろいろと考えていきたいと思います。†

鍛冶ケ谷教会主任司祭:ハイメ・カスタニエダ