今年度の後期は、わたしたちの教会にとって、梅村司教により執り行われる堅信の秘跡の大事な準備期間でもあります。聖霊の特別な賜物をいただく受堅者の方々はもちろん、その準備に係わる教会全体の信徒の皆様にとっても刷新のときです。
 聖書によると堅信の秘跡は神の霊、つまり、神のいのち、神の愛、神の力が人々の心に豊かに注がれるということです。多分私たちは、理論上は、聖霊がいらっしゃると知っていても、自分の経験としてはっきり感じていないので、次の使徒行録に出てくる、洗礼だけを受けた弟子たちに似たような心理状態にあるかも知れません。「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と尋ねられたとき、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」(使徒言行録19・2)と答えたことが書かれています。

 それ以前にもすでに、エルサレムの初代教会から、初めてサマリアで洗礼を受けてキリスト者となった人々に「ペトロとヨハネをそこへ行かせた。二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた」(使徒言行録8・14-17)とあります。これを読みますと、もう使徒行録の中で洗礼と堅信の間に親密な関係があることが分かります。

 まず洗礼によってキリスト者となりますが、小さい子どものときに洗礼を受けた人は、堅信の秘跡によって、自分がキリストの弟子であることを確認し、自信と勇気をもって、キリストから社会に派遣されて行く刺激を受ける良い機会になります。
 大人になって受洗した方々は、自分から進んでキリストの声に応え、信者になった恵みへの感謝の心を新たにし、その日常生活への大切な影響をさらに深めながら、世界に向かって自分の使命はいま、具体的に何であるかを省みる絶好の機会になるのではないでしょうか。

 堅信の準備は、理論的な知識を復習するよりも、皆が一緒になって、聖書を基にして、祈り、いろいろな経験を分かち合いながら、私たちの心に働きかけている聖霊のさまざまな動きに気づくよう、学ぶことになるでしょう。言い換えれば、自分の内面的世界の中で、神の愛と力のしるしを垣間見る方法を習うと言っても良いでしょう。私たちには、一人残らず、すばらしい種が蒔かれています。もしかすると、その種はまだ不活発なままかもしれませんが、念入りに水を注ぐことによって、少しずつ成長し始めるに違いありません。目的は生き方を変えて、自分の心の中にいらっしゃるイエス様の生き方に、ますます似たものにすることです。

 聖霊の賜物は、第一に、ペトロと使徒たちの後継者である司教たちをとおして共同体に与えられるので、大きな喜びをもって最愛の梅村司教を歓迎いたしましょう。†

鍛冶ケ谷教会主任司祭:ハイメ・カスタニエダ