私の日本滞在は50年になります。これまでの人生において自分のしてきたことを振り返り、私の周りの世界がどのように変わってきたかを振り返るのに丁度よい時だと思います。
私の人生は、ごく幼い頃から、聖フランシスコ・ザビエルの道をたどって、日本に宣教師として向かうことが中心になっていましたから、この長い年月の間にカトリック教会がどのように発展してきたかを確認することはとても重要なことです。
私の人生は、ごく幼い頃から、聖フランシスコ・ザビエルの道をたどって、日本に宣教師として向かうことが中心になっていましたから、この長い年月の間にカトリック教会がどのように発展してきたかを確認することはとても重要なことです。
16世紀の終わり頃(1578年)の信徒数は30万人以上だったと言われています。元ハーバード大学教授で米国の日本大使であったE・O・ライシャワー氏 (1961-1966) によれば、徳川幕府のキリスト教弾圧以前にはクリスチャンの人口は50万人近くに達し、「当時の日本の全人口に対するクリスチャンの割合は現在の人口における割合よりもずっと高かったことになる」ということです。明治維新後の1873年、宗教の自由が公式に認められ、宣教師が再び来日して、私たちの主イエス・キリストの福音の宣教が再開されました。そして、特に第二次大戦後以降、日本のクリスチャンの数はゆっくりと増加してきました。私の記憶が正しければ、1958年来日の頃、カトリックの信徒数は約32万人でした。2006年の統計では日本のカトリック信者は42万2571人です。しかし、フィリピンやラテンアメリカからの信徒数(2005年の最後の統計では52万9452人)を含めると、その数は100万人近くになります。そして最新のデータ (文化庁「宗教年鑑」「宗教統計調査」平成16年)によるとキリスト教信者の総数は216万1707人となっています。
この統計を見る前に、私は5月4日付のジャパンタイムズ紙のある記事にショックを受け、「読者の声」の欄に生まれて初めて投稿してみようと思いました。その結果、次の手記が 5月11日(日)の「読者の声」の欄に英語で掲載されました。
■クリスチャンの影響の大きさ■
フロリアン・コールマスの「多宗教の国日本」を興味深く読みました。この記事は、かなりの発展を遂げた融合宗教、「大本」(おおもと)の開祖、出口王仁三郎の果たした重要な役割について書かれた『預言者の動機』(Nancy K. Stalker著)のレビューです。しかし、この記事の最初のところに、「日本ではキリスト教の布教はこれまで全く成功していない。」と書かれているのにはがっかりしました。
確かに、私は上智大学で何千人もの学生を30年以上にわたって教えましたが、洗礼を授けたのは32名だけでした。これは結果として不成功のように見えるかもしれません。しかし、多くの卒業生が日本や世界において、上智のキリスト教精神を持って、あらゆる種類の苦悩のうちにある人々の人権や福祉のために活躍し、政治や外交の世界でも平和と正義のために力を尽くしていることを考えると、違った描像が浮かび上がってきます。
日本のキリスト者によって運営されている病院や施設を別にして、幼稚園から大学までのキリスト教の教育システムを見るならば、日本社会の最も高いレベルから底辺に至るまで、キリスト教の原理や理想の影響を見ることができます。
統計を取るというのは宗教を評価する最適の方法ではありませんが、もし統計を取るのでしたら、適切な方法で行ってください。「大本」のホームページには設立後約100年となる1997年の「大本」の信者は18万2613人とあり、現代日本におけるキリスト教布教はそれより若干期間は長くなりますが(1873年から)、信者数はかなり上回っています。
50年を超える日本での滞在期間中、私は一度も自分の生涯が特に不成功に終わったと思ったことはありません。ひょっとすると、来月は幸運の喜寿を迎えるので、少し楽観的になり過ぎているかもしれませんが。
この投稿が掲載されてから何回も読み直す内に、私の心は日本での宣教師としての私の楽観主義に思いをめぐらせていました。私が洗礼を授けた多くの人たちが、神のみ言葉を聴き、聖体拝領によって主イエスに出会うために教会に全く来ない、という事実を何度も悲しく思ったことに気づきました。そんなとき、私は聖パウロのガラテアの信徒への手紙の言葉を思い出しました。曰く、「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。」(ガラテヤの信徒の手紙、4・19〜20 )。迷った羊を探しに行くべきか、放蕩息子の優しいお父さんのように待つべきか。この歳になると、山登りは無理なので祈りながら待つしかないなぁと思います。†
鍛冶ケ谷教会主任司祭:ハイメ・カスタニエダ
この統計を見る前に、私は5月4日付のジャパンタイムズ紙のある記事にショックを受け、「読者の声」の欄に生まれて初めて投稿してみようと思いました。その結果、次の手記が 5月11日(日)の「読者の声」の欄に英語で掲載されました。
■クリスチャンの影響の大きさ■
フロリアン・コールマスの「多宗教の国日本」を興味深く読みました。この記事は、かなりの発展を遂げた融合宗教、「大本」(おおもと)の開祖、出口王仁三郎の果たした重要な役割について書かれた『預言者の動機』(Nancy K. Stalker著)のレビューです。しかし、この記事の最初のところに、「日本ではキリスト教の布教はこれまで全く成功していない。」と書かれているのにはがっかりしました。
確かに、私は上智大学で何千人もの学生を30年以上にわたって教えましたが、洗礼を授けたのは32名だけでした。これは結果として不成功のように見えるかもしれません。しかし、多くの卒業生が日本や世界において、上智のキリスト教精神を持って、あらゆる種類の苦悩のうちにある人々の人権や福祉のために活躍し、政治や外交の世界でも平和と正義のために力を尽くしていることを考えると、違った描像が浮かび上がってきます。
日本のキリスト者によって運営されている病院や施設を別にして、幼稚園から大学までのキリスト教の教育システムを見るならば、日本社会の最も高いレベルから底辺に至るまで、キリスト教の原理や理想の影響を見ることができます。
統計を取るというのは宗教を評価する最適の方法ではありませんが、もし統計を取るのでしたら、適切な方法で行ってください。「大本」のホームページには設立後約100年となる1997年の「大本」の信者は18万2613人とあり、現代日本におけるキリスト教布教はそれより若干期間は長くなりますが(1873年から)、信者数はかなり上回っています。
50年を超える日本での滞在期間中、私は一度も自分の生涯が特に不成功に終わったと思ったことはありません。ひょっとすると、来月は幸運の喜寿を迎えるので、少し楽観的になり過ぎているかもしれませんが。
この投稿が掲載されてから何回も読み直す内に、私の心は日本での宣教師としての私の楽観主義に思いをめぐらせていました。私が洗礼を授けた多くの人たちが、神のみ言葉を聴き、聖体拝領によって主イエスに出会うために教会に全く来ない、という事実を何度も悲しく思ったことに気づきました。そんなとき、私は聖パウロのガラテアの信徒への手紙の言葉を思い出しました。曰く、「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです。」(ガラテヤの信徒の手紙、4・19〜20 )。迷った羊を探しに行くべきか、放蕩息子の優しいお父さんのように待つべきか。この歳になると、山登りは無理なので祈りながら待つしかないなぁと思います。†
鍛冶ケ谷教会主任司祭:ハイメ・カスタニエダ