2025年 聖年(テーマ:希望の巡礼者)
教会委員長 一瀬
聖年のロゴマーク
2025年の聖年に向けた準備のために、2024年は「祈りの年」として「聖年の祈り」を唱えてきました。
聖年のロゴマークの解説については先月の教会便り12月号に記載されていますので詳細は割愛しますが、さて、この聖年、信者の私たちはどう過ごせば良いのでしょうか?
教皇フランシスコは、「希望は欺かない−2025年の通常聖年公布の大勅書」の中で以下のように呼びかけられています。
聖年に向けて、聖書に立ち戻り、わたしたちに向けられたことばに耳を傾けましょう。
「それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れて来たわたしたちが、……力強く励まされるためです。……わたしたちがもっているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです」(ヘブライ 6・18―20)。これは、わたしたちに与えられた希望を決して失うことのないよう、神のもとに避難所を見いだすことによってその希望にしがみつくようにとの、力強い招きです。
錨のイメージが雄弁に示唆するのは、人生の荒波にあっても、主イエスに身をゆだねれば手にできる、安定と安全です。嵐に飲まれることはありません。わたしたちは、キリストにおいて生きて、罪と恐れと死に打ち勝つことができるようにする恵みである希望に、しっかり根を下ろしているからです。この希望は、日常の充足や生活環境の改善よりはるかに重大で、わたしたちに試練を乗り越えさせ、招かれている目的地である天国のすばらしさを見失わずに歩むようにと背中を押してくれるものです。
ですから次の聖年は、ついえることのない希望、神への希望を際立たせる聖なる年です。この聖年が、教会と社会とに、人間どうしのかかわりに、国際関係に、すべての人の尊厳の促進に、被造界の保護に、なくてはならない信頼を取り戻せるよう、わたしたちを助けてくれますように。信じる者のあかしが、この世におけるまことの希望のパン種となり、新しい天と新しい地(二ペトロ 3・13 参照)―主の約束の実現へと向かう、諸国民が正義と調和のうちに住まう場所―を告げるものとなりますように。
今より、希望に引き寄せられていきましょう。希望が、わたしたちを通して、それを望む人たちに浸透していきますように。わたしたちの生き方が、彼らに「主を待ち望め、雄々しくあれ、心を強くせよ。主を待ち望め」(詩編 27・14)と語りかけるものとなりますように。主イエス・キリストの再臨を信頼のうちに待ちながら、わたしたちの今が希望の力で満たされますように。わたしたちの主イエス・キリストに賛美と栄光が、今も、世々に至るまで。
私たちは、聖年の意味を考え理解し、聖書の教えに耳を傾け、共同体の一員として日々の信仰生活をおくる事が大切なのではないでしょうか。
2025年、この聖年とどう向き合うか自分なりに考えてみたいと思います。
この巻頭言が、聖年について、いま一度考える機会となり、皆様の信仰生活がより豊かなものとなりますようお祈りいたします。